◆圧力団体と表記すべきかもしれませんが、あえて利益集団という言葉を使用します。日本政治の貧困を考える際に、政党の機能の弱さ、政治家の能力・資質に問題を求めることも可能ですが、むしろ、政党・政治家に働きかける利益集団の力が弱いのではないでしょうか。もしくは、利益集団が特定の分野に偏りがち、既得権に縛られ過ぎ、なのではないでしょうか。

    ◆いわゆる市民団体も、利益の定義を経済的側面から政治的充足(自由や権利の確保)に広げれば、利益集団といえます。現代政治は、経済的側面・政治的充足にかかわらず、利益の奪い合いという側面があります。脱原発を掲げる人々は、「利益」とすると感情的な語弊があるかもしれませんが、原発のない社会の建設を通じ、安全性という「利益」を模索しているといえます。

    ◆日本は民主主義国家であり、憲法に定める通り、国権の最高機関は国会にあります。しかし、そのような制度自体はそれ程大きな問題ではありません。むしろ、国会内部での政治がどのような過程を経て行われているかが重要です。政治家の政策論争が主ですが、それは政治家の思想信条に基づくものもあれば、政治家を支える政治基盤からの要請であることもあります。

    ◆政治家は土地に境界線を引いた選挙区で立候補し、有権者の選別を経て議員となります。その土地の有権者は土地固有の利害関心もありますが、通常は職業・世代・性別等が異なり、従って関心を持つ利益も異なります。その結果、政治家・政党は多様な利益に目を配り、また、個々の利益には中立である必要があります(一部の利益に傾斜しすぎると、落選しかねない)。

    ◆その中立性を打破するために、地域性を超えた産業や階層(古い言葉でいえば階級)ごとに集団が形成され、利益団体となって政治家・政党に影響を与えています。政治家は政治献金源・票田として利益団体を重視し、落選の危険性を極力回避するべく、極力政策への中立性を保ちながら、一方で巧みなバランス感覚で利益団体の意向に目を向けます(それが下手な議員は落選する)。

    ◆筆者が耳にした話では、経団連は原発ゼロに向けた方針決定を総選挙後にしてほしいという意向を持っているとのことです。総選挙を経れば、自民党に政権が交代し、同党は原発推進に舵を切り直す可能性がありますから、民主党政権下で原発ゼロに向けた方針が定まることを恐れているということでしょうか。

    ◆この現象が示す通り、政治には利益集団の意向が大きな影響力を与えています。裏を返せば、本当の権力は政治家にあるのか利益集団にあるのか判然としないといえます。多様な政治家や政党、各種利益集団のせめぎ合いの上に政治があります。この現実に目を向けると、脱原発運動が包囲すべきは首相官邸や国会なのか、むしろ経団連本部の方が効果的かもしれません。

    ◆少し話が脱線しましたが、労働組合も利益集団の一種とみなしてよいと考えます。残念ながら日本における労働組合の影響力は弱体化の一途をたどっています。労働組合に属する正社員を守るという意味では、それなりの活動をし、結果として正社員の雇用確保に影響力を発揮していますが、雇用の海外移転という選択肢を持っている企業と労組の力関係は大きく変わりました。

    ◆労組は雇用の維持を企業に約束させることが精一杯で、かつてのように賃上げなどの要求には及び腰です。それどころか、そもそも普遍的な労働者の権利保護という目的を追求できず、労働市場への新規参入を求める女性や非正規労働者など労組が想定していない形態の労働者を全く保護できない。正社員という既得権者しか守れないのが実情です。

    ◆この点では、社民党・共産党などが国会で問題提起していますが、極めて非力です。何故自分たちが非力なのか、ということへの反省も全く見られません。

    ◆労働者・消費者、あるいは女性は極めて弱い存在です。それは集団を形成することが非常に困難だからです。企業などで構成される財界や生産者集団は活用できる資金や人的資源が豊富にあります。一方で、労働者や消費者、女性は個々の持つ資金力が豊かではなく、しかも、連帯して政治活動を行えるだけの時間がないため常に人手不足です。

    ◆経済学の基本は分業です。各自が得意分野に集中して生産活動を行えば、苦手分野まで含めて自給自足の生活を行うより、それぞれの分野での生産力は高まります。その上で、生産物を交換した方が、社会全体の生産力は高まり豊かになる。だから分業が推奨されます。

    ◆市民活動も同じです。個々の労働者、消費者、女性は忙しく、政治活動を行う時間がない。またそのためのノウハウも乏しい。だからこそ、自分たちは仕事をして生活の糧を獲得し、その一部を市民団体に寄付して、自分たちの代わりに活動してもらえばよいはずです。分業によって、経済活動と政治活動を両立し、また両方の生産性を高めることができます。

    ◆いわゆる左派勢力は、そのための市民の動員力が決定的に弱いのではないでしょうか。志の高い、清貧をいとわない活動家やボランティアに頼り、社会を政治に近づける努力を怠ってきたのではないでしょうか?その結果、資金力や人的資源を動員できる利益集団だけが残り、新しい利益を求める層の利益集団は成長しない。高潔な志も重要ですが、やはりまずは資金です。

    ◆利益集団は社会の資源(資金・人員)が集まって形成されます。そのためにも活動の基礎である資金集めを容易にする仕組みが重要です。政治活動における寄付(政党に限らず)に対する税制優遇をより促進し、あるいは推奨する仕組みを検討し、政治に携われる人・集団を増やせるようにすべきです。

    ◆政治への市民参加は望ましいものですが、忙しい国民が政治の複雑なプロセスに容易に参入できる訳ではない。政治への影響力は一定の集団が構成されて初めて発揮されます。自分が獲得した所得は、まず自分の信じる政治活動のために使う。課税後の残りを寄付するのではなく、自分の所得を市民としての活動に優先的に使う権利を確立すべきではないでしょうか。

    ◆その考え方に立てば、政党交付金という上からの政治支援の必要性もなくなります。しかも、政党交付金は実際に議員を輩出している政党に交付されます。多様化し、たえずリニューアルを繰り返している利益に既成政党は容易に対応しません。大阪維新の会のような新興政党は、現職国会議員を引き抜いて初めて政治資金を国家から獲得できます。

    ※これも大阪維新の会という人気集団だからできる手法ですし、それだけの人気がありながら、やはり政党交付金に頼らなければ資金が枯渇するという現実も見てとれます。

    ◆海外では経済的利益ではなく、女性の権利保護や環境保護、宗教右派のような経済的側面とは無縁の利益集団が多様に存在し、そのような集団が男女平等や環境保護、生命倫理などの政策課題に取り組んできました。こうした社会問題への対応のほとんどは、政府の側から自発的に行われず、むしろ社会からの圧力で実現しているのです(キング牧師などは好例です)。

    ◆日本でも琵琶湖の環境汚染を問題視し、有リン洗剤に反対する運動が広がり、それが滋賀県政に反映されて琵琶湖の水質保全のための条例制定につながりました。当時、企業は環境保護運動の高まりを受け、最終的に条例制定に反対せず、無リン洗剤の研究・販売に取り組みました。この歴史と対比すると、脱原発運動に反対しかできない現代の財界・経営者は全く尊敬できません。

    ◆国民の様々な意見を少ない有効政党が全て吸収することは不可能です。政党と個人の中間に、多様な利益を代表する手段が豊富に生まれた方が、日本の民主主義をより成熟させるのではないかと考えます。また、政治と国民の距離を縮める一方策となるのではないかとも考えます。




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    2012.09.11 Tue  - 政治 -   コメント 0件

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