◆流行遅れの感は否めませんが、先日「サンデルの政治哲学」を読みました。サンデルの白熱教室はテレビも見ていませんし、書籍も読んでいません。サンデルの講義よりも、サンデルの思想についての解説を読みたかったので、購入・読了いたしました。

    ◆現実の政治がどうあるべきか、という問題意識は棚上げし、サンデルの主張は政治思想として妥当か、という問題を考えると、どうしても首をひねる内容です。先日「慰安婦問題とリベラリズムの限界」では、自由主義を突き詰めると歴史や伝統に根ざした倫理観と衝突する可能性があることを記載しましたが、これは上記の書籍の影響を受けています。

    ◆もっともサンデルは慰安婦問題については触れていません。従って、筆者の誤解釈である可能性もありますのですが、ただ、自由主義、主にロールズの政治哲学を批判していることは筆者には新鮮でした。筆者は自由主義と格差の適正な是正が思想的に両立するという点で、ロールズの支持者だったのですが、確かにサンデルの批判が妥当である部分もあります。

    ◆興味深い点は生命倫理の問題です。医療技術の進歩が「健康の回復」に活かされている限り問題はないが、これが「人間の増強」に向かった場合、社会はそれを許すことができるのか?という問いかけがなされています。

    ◆上記の書籍の中でも触れられていましたが、筆者はアニメ「ガンダムSEED」を見た際に、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けました。筆者の趣向に脱線しますが、筆者は基本的にガンダムが余り好きではありません。理由は単純で、主人公があまりヒーローではないことが原因です。この手の主役は正義感と使命感に満ち溢れていた方が筆者の好みなのです。

    ◆ガンダムの人気が主人公の苦悩などにあることは理解しています。しかし、「親にも殴られたことがないのに!」というアムロの名台詞は「殴られる前に戦ってくれ」と考えてしまう筆者の単純な趣味とは相容れません。「ガンダムSEED」は21世紀になってから作られたシリーズですが、同作品の主人公も苦悩する人物という点ではガンダムの伝統の継承者であるようです。

    ◆興味を覚えたのはその世界観です。遺伝子操作を受けて能力が飛躍的に向上した人類(コーディネーター)が、大多数の自然に誕生した人類(ナチュラル)に排斥され、宇宙に生活拠点を移し、それでも両人類の憎悪の果てに戦争に至るという物語。両人類の憎悪が随所に描かれ、虐殺も起こり、戦争を終結させる術は憎悪を乗り越えて共存の道を図る以外にない、という展開です。

    ◆筆者が最初に視聴した時点では遺伝子操作の是非まで考えておらず、むしろイスラエルとアラブ社会の対立やユーゴスラビアなどに見られた民族紛争等を反映した作品と思っていました。現代の戦争は正規軍の勝負だけで決着はつかず、敵対する民族の抹殺を最終目的にしてしまう性格がありますが、その性格が子供向けアニメに反映されていることに驚きを覚えました。

    ※劇中、両人類の共存を考えようという人々がコーディネーターにもナチュラルにも現れますが、戦争の完遂を志向する勢力によって粛清されています。韓国で親日派が国賊扱いを受けたり、日本でも親韓派が非国民扱いされる現状を考えると、今でもよくできた作品だと思います。

    ◆しかし、サンデルの問題提起を受けて、改めてこの物語を見ると、そもそも遺伝子操作による人間の増強が許されるのかという問題を考えざるを得ません。生命倫理というと、クローン人間の製造が本当に問題ないのかという議論が代表的ですが、クローンではないにしても、人工授精技術が発達した社会では誕生前の生命に、何らかの操作を行うことはすでに可能かもしれません。

    ◆スポーツの世界ではドーピングが禁止されていますが、ドーピングは誕生後の話です。すでに何らかの人為的操作を受けて誕生した生命が、例えば100mを5秒台で走ることに成功した場合、この記録を人類の記録として本当に許容できるのでしょうか。逆に、その生命はドーピングと変わらない行為をしたのだから、オリンピックなどから追放されるべきでしょうか?

    ◆その追放が適切ならば、ガンダムSEEDの世界観の通り、遺伝子操作を受けた人類は排除の対象となります。そもそも、その人物が自ら望んで遺伝子操作を受けたのではなく、親の意向等が原因であるにもかかわらず、です。その親も私有財産から必要な対価を支払い、我が子のために投資した結果でもあります。

    ◆親が子の教育のために塾に通わせる、不妊治療のために医療技術の手を借りる、こうした行為は必要な対価を支払う限り認められています。自由な経済的取引です。しかし、遺伝子操作やクローン人間の製造になると、これを規制すべきと考えてしまう。理屈の世界では人の自由であるにもかかわらず、規制しようと考えてしまう理由は理屈ではなく、やはり倫理観ではないか?

    ◆ロールズは倫理観を人の主観として棚上げし、普遍的価値観として自由を考えましたが、サンデルは歴史的・伝統的な倫理観を尊重すべきという立場です。人は社会科学が考えるような完全に独立した個人ではなく、その人が属する共同体の倫理観や宗教観などの影響を受けている。そうした価値観から人を引き剥がし、原理的な自由を押し付けることが妥当かを疑問視しています。

    ◆読後、なるほどと思いました。思いましたが、一方でサンデルの考え方を支持し、共同体の倫理観を尊重する立場に立つと、どうしても伝統的価値観がもたらす問題を解決できないのではないかと疑義を覚えます。良妻賢母という価値観を掲げると女性の社会進出は阻まれますし、日本人ならば君が代・日の丸を尊重せよといわれると、そんな強制はできないという反発も覚えます。

    ◆この問題について、倫理観ではなく、ガンダムSEEDの世界観の通り人類の断絶を招くとか、富める者の子孫ばかりが繁栄するといった格差原理で否定することも考えましたが、では塾に通わせる、豊かな女性が美貌のために成形することは認められるのかといった考え方が頭をよぎります。そもそもハーバード大学の教授の主張ですから、筆者が示す疑義など一蹴できるでしょう。

    ◆結局のところ、塾はいいけど遺伝子操作はダメ、成形はよいがドーピングはダメといったダブルスタンダードな答えしか思いつきません。サンデルの問題意識は納得感が高く、必要と考えますが、極めて難しすぎます。ダブルスタンダードを前提に、極力自由主義の立場をとり、共同体の倫理観などは最終手段に留めるべきと、素人的な感想しかいえそうにありません。

    ◆余談ながら、人の受精卵から作成したES細胞は再生医療の柱とされていましたが、キリスト教的倫理観では「受精卵は人か?」という議論があるため(アメリカの中絶反対の議論と同じです)、人によってはこの研究に積極的な支持を与えません。アメリカのブッシュ前大統領は研究を禁止することはしませんでしたが、政府の資金援助を打ち切っています。

    ◆しかし、京大の山中伸弥教授が皮膚から作成するiPS細胞の研究に成功すると、キリスト教的倫理観の問題がなくなったため、世界中の注目が集まったとのことです。iPS細胞の生成はもちろん注目すべき業績ですが、その意義が倫理観の問題にあったことは初めて知りました。偉大な研究です。その偉大な研究者が資金繰りに奔走している日本の研究環境に改めて憂いを覚えます。

    ※そんな日本に「愛国心を持て」と尊敬できる要素の少ない政治家からやかましく言われてもねぇ・・・・と昨今の風潮を冷めた目で見てしまいます。





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    2012.09.06 Thu  - 保守・リベラル -   コメント 0件

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