◆民主党政権は今や風前の灯です。支持者としては残念ですが、何故支持していたのだろうと振り返ると、筆者の場合、保守、すなわち自民党に対する強い反発があったからです。正確には小泉政権以降の新自由主義的な価値観(政策には賛成している個所があっても)に対する強い違和感があったためです。

    ◆この反発は、安倍内閣の反動的でいい加減な性格(退陣の仕方も極めていい加減)でますます悪化し、福田政権は消費者視点の政治等、比較的支持していたのですが、麻生政権になると、もはや政権に正統性がないのでは?(郵政解散は実質的に郵政民営化だけが争点で、いつまでもその結果で政治を行うのはおかしいという考え方)という疑義から支持できませんでした。

    ◆筆者の自民党政治への決定的な不信感は年金問題に尽きます。この問題は時の安倍政権の問題というよりも、歴代政権の問題であると考えます。実際は行政の怠慢、特に所管官庁の怠慢で、政治家の監督責任もさることながら、本来は行政すなわち公務員がしっかりしていないことが問題です。そんなことまで政治家はチェックしないし、できないだろうという理屈もあるでしょう。

    ◆しかし、立法府の最大の使命は行政の監督です。行政は税金で運営される訳ですから、行政の機能の最大化や効率性の向上は政治家にかかっています。前置きが長くなりましたが、政治主導、すなわち政治(日本においては国会議員が内閣を構成し、政治を担うため、立法府とも言いかえられますが)の行政に対する優位性は非常に重要な問題です。

    ◆民主党が政治主導を掲げた背景には、逆にいえば自民党の行政主導を打破する必要があるという認識があったからと考えられます。民主党の政治主導も結果だけを見ると掛け声だけで、実質的には達成されたとはとてもいえません。しかし、自民党政権に逆戻りすればよいのか、というと、政治主導が掲げられた時点の問題意識は依然残っています。

    ◆政治主導はやはり実現すべきですし、実現させるためには、自民党・民主党両政権において政治主導が何故実現しないのかを考える必要があります。では、自民党政権は本当に行政主導の政権だったのでしょうか?実際は政治主導色も十分に見られたと考えます。特に小泉政権では経済財政諮問会議の活用に代表される、政治主導の予算編成が実現していました。

    ◆経済財政諮問会議のシナリオは実は財務省が描いていたという見方もありますが、しかし、逆の視点に立てば、財務省は経済財政諮問会議の力を借りて、ようやく自身のシナリオを実現できたとも言えます。すなわち、政治と行政の相互依存の関係と考えることもできます。

    ◆政治主導、行政主導とも、そもそも「主導」の定義が不明確です。官庁など行政府・公務員は確かに政治家に比べれば所管分野の専門性が高く、しかも、選挙で当落の分かれる政治家と異なり、身分が保障され、業務にも継続性があり、政策立案能力は政治家の比ではありません。しかし、実際の政策決定という点に着目すると、政治家の力なしには行政は不可能です。

    ◆法律も予算も国会での可決が必要ですし、そのためには行政側は政治家、すなわち立法府の協力を常に必要とします。議会制民主主義が確立した戦後は、戦前のように、行政が絶大な権力を持っていた訳ではありません。閣議決定は全会一致が原則ですから、公務員は担当大臣だけでなく、他の大臣(他の省庁)の了解が必要ですし、国会では与党や有力議員の賛同が不可欠です。

    ◆戦後、自民党が長期政権を築いたために、政治家と公務員の結びつきは強くなりました。行政が政策を立案するケースは確かに多かったと考えられますが、一方的に行政側の主張が通っていた訳ではなく、事前の調整や議論で政治家の意向が反映され、また、政治家を通じて住民や利益団体の意向が行政側の政策立案に影響を及ぼしていたと考えられます。

    ◆問題は政治と行政の関係ではなく、党首(首相・総裁)と議員の関係にあったのではないでしょうか。通常、議員は有権者の意向に配慮しますし、有権者の関心は地域の利害から国家の安全保障まで多岐に渡ります。それにも関わらず、自民党議員の一部は特定の政策課題に強い族議員を多く生み出しました。これは自民党長期政権化の選挙制度である中選挙区制の所産と考えます。

    ◆一選挙区で複数の当選者が出ますので、特定の政策課題のみに強くとも当選の可能性は十分にあります。苦手分野の政策課題は他の議員(候補者)がカバーしてくれます。一人の議員が幅広い有権者の意向に応える必要はありません。また、選挙区の広さや多額の資金を必要とすることから、政治献金を求めて特定の利益団体と強く結びついた側面もあります。

    ◆中選挙区制は自民党議員同士の戦いも招きますので、自民党総裁よりも、各候補者のバックにいる派閥の長の影響力が増します。結果として、自民党総裁の力は相対的に弱まり、また、特定の政策課題では担当大臣よりも強い影響力のある族議員が誕生します。多くの政権において、派閥の長や自民党内の政策調査会、族議員の権力は内閣を上回っていたと考えられます。

    ◆政治主導か行政主導かという議論に話を戻すと、実際は政治・行政ともに強い依存関係にあり、必ずしも政治の力が弱かったという訳ではないと言えます。ただし、内閣以上に在野の政治家が強かったといえるかもしれません。問題は「内閣の主導力」にあったのではないでしょうか。

    ◆自民党政権下で長期政権を築いた中曽根政権と小泉政権は、評価は別として大きな権力を発揮し、改革を実行しました(佐藤栄作政権も長期政権でしたが、私の知識では「改革」と呼べる政策転換が見えません)。この背景には、ちょうど派閥の長が引退し、世代交代の時期にあったことがありますが、それ以上に政治・行政に対し影響力を発揮できる仕組みがあったと考えます。

    ◆両政権とも国民の支持を背景とした選挙での強さ(実際は負けることがあっても強いように見せる力)があり、中曽根政権は審議会の多用、小泉政権は経済財政諮問会議の活用や従来の族議員を抵抗勢力と位置付けるメディア戦略が主要な武器だったと考えられます。特に小泉政権は小選挙区制度下の政権であり、族議員を打倒できる政治環境が存在していました。

    ◆しかし、上記のケースを除けば、一般的には内閣よりも党が強い影響力を持つという性質は一貫していたと考えます。内閣の主導力は弱くとも、政治・行政は強い依存関係にあり、政治家は有権者や利益団体の意向を行政に反映し、その意味では政治主導の側面もあったと考えます。

    ◆では、民主党の政治主導とは何だったのでしょうか?それは内閣の主導力強化にあったと考えます。民主党議員の多くが副大臣等のポジションで行政府に入り、一時期は政策調査会も廃止しました(政府・与党一元化)。しかし、最も大きな問題はその政治家の行政経験の不足にあったと考えます。

    ◆長期政権下で政策立案能力を蓄え、有権者や利益団体の意向を汲み取る政治力を蓄えた自民党の族議員は確かに自民党総裁の統制力を超える存在でしたが、一方で民主党議員は党首の統制力に服していたとしても、そもそも自民党の族議員のような能力が欠けています。政治・行政の相互依存ではなく、行政(すなわち公務員)に依存せざるを得なかったのではないかと考えます。

    ◆普天間問題、原発の再処理場建設、オスプレイの配備問題、いずれも民主党政権は地域の声を汲み取ることができず、また説得もできません(自民党政権期より難しい問題でもありますが)。仕組みとして内閣の主導力は高まっていると考えられますが、そもそも行政に対する政治の主導力が自民党政権期より弱まったと考えます。

    ◆問題は自民党政権に戻った後です(戻ると仮定しての話です)。

    ◆小泉元首相は族議員を敵視し、自民党と利益団体の関係を「自民党をぶっ潰す」というスローガンの通り、破壊していきました。また、ベテランはともかく、小泉チルドレンのような若手議員は民主党議員同様、行政を統御できる能力を持っていないでしょう。そして政権交代可能な時代、かつ小選挙区制度下では、時間をかけて議員の政策立案能力を養成することは困難です。

    ◆内閣主導のためのツールは、小泉政権期の経済財政諮問会議や民主党政権で行われている議員を多数行政府に取り込む仕組みがあります。その仕組みを機能させ、内閣主導かつ政治主導を再興させるためには、個々の政党は政権を掌握した時に備えて、行政を統御できるだけの専門性を蓄えたシンクタンクを設置すべきではないでしょうか?

    ◆イギリスのキャメロン首相は保守党の調査部出身です。若い時代は党官僚として政策立案能力を磨き、後に議員として活躍しています(議員2期目で党首です)。この制度は、逆にいえば落選しても、引き続き党の政策立案過程に存在の場を得られることを意味します。日本のように「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちればタダの人」という訳ではなさそうです。

    ◆党首や党執行部の力を上回るような派閥・族議員は必要ありませんが、一方で、素人集団で良いという訳でもありません(その意味で民主党の某元防衛大臣は失格)。各議員や候補者の行政能力を養成するとともに、党の政策調査会は指揮下に政策を検討・分析する専門組織を用意し、政権掌握時も野党である時期も、より高度な政策提案あるいは議員立法を行っていくべきです。

    ◆能力不足という結論は非常に虚しいものですが、民主党の政治主導のとん挫の理由は、これに尽きると考えます。この経験を踏まえるならば、より高度な政策立案・研究組織の設置と、そこから優れた人材を育て、政界に輩出する仕組みが必要です。その意味では松下政経塾も、あるいは最近流行りの政治塾も、専門性不足という意味で有用ではないと考えます。




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    2012.09.05 Wed  - 政治 -   コメント 0件

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