◆拙稿「人間の商品価値」の続きです。人間の商品性について肯定も否定もせず、検討を続けたいと考えます。引き続き道徳的価値観を考えず、あくまでも人間を商品と見立て、その商品価値を考えるならば、少子高齢化社会とは商品価値の低下した人間が増え、将来有用であろう商品が少ないことを意味します。

    ◆資本主義経済において、人間は付加価値を生み出す機械であり、それ故に、経済は人間を購入します。労働市場における需要と供給はこの原理で成り立っており、企業にとって雇用とは工作機械などを購入するケースと同様に「投資」的な性格を有しています。

    ◆さて、付加価値を生み出す機械が減少する一方で、付加価値を生み出せないながら生存権を有しているために温存しなければならない機械が多数存在しています。執筆していて反吐が出そうな論理ですが、少子高齢化社会とはそのような社会といえそうです。しかし、そのように社会を考えると、少子高齢化社会を出現させてしまったことは、大きな失敗であることが分かります。

    ◆なぜ、少子化は起こるのか、起こってしまったのかを考える前に、逆に高齢者は何故多いのでしょうか?ベビーブームはなぜ発生したのでしょう?

    ◆本稿では、終戦後、ベビーブームが発生した要因を分析したい訳ではありません。そもそも、戦前から子供は多数生まれていましたし、貧困ゆえに「間引き」「娘の身売り」が行われていた事例が数多くあります。これは避妊知識が浸透していなかったからでしょうか?もちろん理由の一つとして考えることはできますが、単純に人間の本能的な性行動の結果とすることは早計です。

    ◆一般的に発展途上国ほど、多産傾向が強いとされています。これには理由があります。発展途上国では社会保障制度の未整備や医療技術の未発達という現状があります。一方で「人間の商品価値」でも記載した通り、人間には付加価値を生み出すという商品性があります。

    ◆発展途上国では子供は非商品ではなく、労働力として商品化されています。児童労働という形で労働市場に供給されているケースもあれば、資本主義経済は未発達で、自営農場や家事労働に従事させているケースもあるでしょう。また、高齢者の生活を国家が保障しませんから、親は将来の自分の生活を保障するために子供を必要としています。

    ◆医療技術の未発達は特に重要です。子供を病気で亡くすリスクが高いならば、当然子供が多い程、そのようなリスクを軽減できます。多産は貧困を招きますが、一方で貧困だからこそ多産が必要という悪循環が存在します。先進国の一部には飢餓やエイズの拡散への対策として途上国へ避妊具の配布を行うケースもありますが、これは問題の根本的な解決につながりません。

    ◆上記の事例を考えると少子化の原因が見えてきます。福祉国家では、子供を労働力とせずとも生活の糧が得られる社会、すなわち子供の脱商品化が進んだ社会が実現しています。高齢者の生活も、介護などの労働力は必要ですが、年金制度の発達により経済的な保障は進んでいます。その場合、多産の必要性はなく、むしろ社会は多産による貧困を回避する方向にシフトします。

    ◆結婚しない、子供を設けない人が増えていく社会は、かくして生み出されたといえます。少子化は社会保障制度・医療技術の高度化の副作用と位置付けることが可能です。特に、20世紀後半の福祉国家の急激な発展は、子供が多かった時代の名残と子供を多く必要としない現代の性質が混在し、そのために子供は少なく、高齢者は多いといういびつな人口構成を招いたといえます。

    ◆日本は先進国の中でも特に少子高齢化が進んでいるとされていますが、その理由は多数あるとしても、上記のように経済成長や社会保障制度の拡充が、他の先進国より急激だったことが一因かもしれません。また、中国のように一人っ子政策を続ける国では、今後、日本よりもはるかに問題の深刻な少子高齢化社会が出現する可能性があります。

    ◆従って、福祉国家には問題があると見るべきでしょうか。当然ですが、そんな訳はありません。むしろ、福祉国家の発展に伴う副作用をいかにして緩和するかが重要です。特に現代では女性の社会進出が活発化し、晩婚化・非婚化が進んでいますから、その緩和策はますます重要です。

    ◆結婚も出産も、人間の自由な選択ですから、自分で責任をとればよい。加齢は必然なのだから、老後の生活は自分で保障すべきという考え方も成り立つかもしれません。しかし、老後の準備を完璧に済ませた高齢者ばかりの社会が本当に成立するでしょうか。金銭的な蓄えがあっても、どんな時代も若い人は必要です。食糧生産や治安維持、そもそも介護などは健康な若者が担います。

    ◆子供は人間の自由な選択の結果として生まれればよいのではなく、社会的にも必要な存在です。家族の絆云々といった道徳的な思考ではなく、社会の維持という観点から、出産・育児は支援する必要があります。非婚・出産拒否は自由ですが、全ての人は将来、成長した子供が支える社会で暮らす以上、親にならない、なる気のない人もまた、子育てに関与せざるを得ないと考えます。

    ◆「子供は社会が育てる」というスローガンは、民主党の権威失墜とともに色褪せつつありますが、以上の観点から、この理念は重要ですし、必要です。そのためには人間の商品化の追求を避ける必要があります。出産・育児に伴い、一時的に労働市場から退出する、すなわち商品ではなくなる親の生活を保障するためにも、出産・育児休暇の権利としての確定が必要です。

    ◆人間の商品価値は能力で決まります。子供の存在の有無は労働市場では全く関係ありません。同じ能力ならば得られる対価は通常同じです。しかし、子供を育てている人は、商品ではない子供の生活を保障しなければならない。その保障を社会が共有するために児童手当(子ども手当)や保育園の整備といった子育て支援策が存在する。

    ◆子供の脱商品化、親の脱商品化を支えるために、福祉国家の役割は終わらないと考えます。「児童手当(子ども手当)は子供を育てる親のため」「子育て支援策は働く女性のため」という考え方がありますが、本質は子供を商品化させないことが第一の理由なのです。そのために親の脱商品化が必要となってくるのです。そして親・子の脱商品化は福祉国家の最も重要な役割です。

    ※子供の早期商品化を避け、教育という投資によってより高品質な商品に育てる、という腹黒い考え方も成り立ち得るのですが・・・。

    ◆子供を商品化させず、しかし、貧困や社会環境による少子化を防ぐ。そのための政策の動員を再検討し、発展させることが依然求められていると考えます。観念的に家族の再生や絆を賛美しながら、一方で自助を強調する風潮は、経済的な保障なしに少子化を解決しようとする、いわば精神論的な、あるいは国家を安く上げようとする意図が見え隠れする主張ではないかと考えます。



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    2012.09.05 Wed  - 政策 -   コメント 0件

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