◆映画「マーガレット・サッチャー~鉄の女の涙~」を見ました。本稿では映画の内容に触れますので、これからご覧になる方はご注意ください。

    ◆結論から申し上げますと、結末に今一つ納得感がない作品でした。筆者の理解力の問題かもしれませんが、サッチャー元首相が流した「鉄の女の涙」の訳が今も理解できていません。ただ、アカデミー賞主演女優賞を獲得した理由は納得できます。サッチャー元首相の現在(痴ほう症が進んでいるといわれる姿)の演技は、細部に至るまでリアルでした。

    ◆筆者が関心を持ったのは、余り知らなかったサッチャー元首相の出自です。食料品店の娘、女性と差別されながら、タフな議会答弁や政治姿勢で権力の座に昇っていく姿は、まさに「鉄の女」と感じました。階級闘争、女性への偏見を自分の努力で跳ね返す姿を見るうちに、福祉国家を否定的に捉え、自己責任を重視する「新自由主義」が感覚的に理解できます。

    ◆確かに、逆境を自己の力で乗り越えた人が、政府による富の再分配を否定的に見る気持ちは分かります。初めから努力もしない人が生活保護に頼り、あるいは、低額の税金で行政サービスを得ることに納得感はないでしょう。高所得・高資産というだけでは高額の課税の理由にはなりません。そもそも税金は罰金ではないのですから。

    ◆しかし、筆者はこの映画を見て、あらためて福祉国家の重要性を感じます。正確にいえば、福祉国家は当然で、その福祉国家と市場の関係をどう見るか、が重要なのだと感じさせられます。

    ◆失業保険や生活保護は何故存在するのでしょうか。その理由を考える上で非常に重要なことは、景気は循環するということです。財政政策や金融政策によって、人類は景気をコントロールする術を得たように捉えがちですが、それでもリーマンショックのような事態が発生します。マクロレベルで不況が発生するのですから、個々人、個々の企業で競争の敗者が出ることは必定です。

    ◆失業保険、生活保護は競争の敗者を救うためにあるのではなく、むしろ、市場に活力を与え、経済をより一層発展させるために存在していると考えます。

    ◆例えば、サラリーマンが会社に通うのは当然のように思いがちですが、個々人の貴重な時間を会社での仕事に費やすことができる理由は、その労働によって得られる収入で、食糧が購入できるからです。もし、仮に食糧が交換できないとなれば、もはや会社に通っている場合ではありません。自宅は極力狭くし、余っている土地を大至急農地に変える必要が出るでしょう。

    ◆経済とはつまるところ交換で成り立っています。給料と食糧を交換できるからこそ、サラリーマンは食糧生産という仕事から解放されています。それは、飢餓というリスクから解放されていることを意味します。

    ◆映画「ソーシャル・ネットワーク」では、主要キャラクターとそのガールフレンドの会話で興味深い台詞がありました。

    「あなた、何の仕事をしているの?」
    「起業家だよ」
    「失業者ね」

    この会話は絶妙です。これから仕事を興そうという姿勢をとらまえれば「起業家」ですし、そのために定職にないという現実を見れば、確かに「失業者」です。起業という行為には失敗のリスクがつきまといます。そのリスクを負えるかどうかが経済の発展には極めて重要です。

    ◆倒産の恐れがない、あるいはその可能性が低いということで、公務員や大企業の正社員を目指す人は多いでしょう。しかし、新興企業に勤めるとなれば、その企業が負っている「事業の失敗」というリスクを従業員も背負う必要が出てきます。雇用保険や生活保護といったセーフティネットは、そのリスクを軽減する可能性を持っています。

    ◆リスクの軽減は、常にリスクと向き合いながら投資活動を行う資本主義の重要な歯車です。それは金融機関や企業のリスク管理だけでなく、仕事を選択する個々人にとっても重要です。新興産業に優秀な人材が集めるには、何らかの形でリスクを軽減する以外に手がないはずです。仮にそのリスク軽減策が弱ければ、人は安全と見ている産業にしか勤めないでしょう。

    ◆リストラではなく自己都合で会社を退職した場合、一定期間失業保険は支給されません。自己都合だから当然だと思われるかもしれません。しかし、この仕事は自分には向いていない、と考えた人が、モチベーションの低いまま会社に留まることは、企業にとっても、個人にとっても不幸です。失業保険をただちに支給し、退職してもらう方が社会にとっては有益かもしれません。

    ◆子育て支援策や介護保険も、女性の社会進出には不可欠のものです。出産や育児に時間がかかると企業が判断すれば、女性の長期雇用には慎重になります。復帰しても、今度は介護のために休職する恐れがあれば、やはり女性の社会進出の壁になるでしょう。それは、優秀な女性が経済活動に取り組み、社会に優れた価値を提供してくれるチャンスを、みすみす奪うことになります。

    ◆子育てや介護という仕事から女性が解放されるということは、社会でそれだけ分業が進んでいることになります。かつて、アダム・スミスが唱えたように、分業こそが経済を発展させる重要なカギです。フェミニズム故に女性の社会進出を促すのではなく、男性も女性もなく、個々人の能力が最大限発揮できる社会を築くために、政府の社会福祉サービスは必要だと考えます。

    ◆筆者は市場の機能を信じていますし、個々人がモチベーション高く、その能力を市場で発揮することが経済の成長に資すると考えます。伝統的な価値観で女性の社会進出を阻み、競争の敗者に自己責任を求める考えには反対です。それは分業の否定であり、資本主義の危険な側面への対策をただ怠っているだけです。新自由主義は感覚的には理解できても、やはり賛同できません。



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    2012.03.29 Thu  - 経済 -   コメント 0件

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