◆新年明けましておめでとうございます。ブログ始めです。今年もよろしくお願いいたします。

    ◆朝日新聞は年初から「壊れる民主主義」と題した特集を掲載しています。また、海外の識者に民主主義の将来を聞く特集も組まれています。非常に興味深い内容です。骨太の雑誌を読めば、すでに議論されている内容かもしれませんが、発行部数において雑誌を圧倒する新聞がこのような特集を掲載することは大変意義深いと考えます。

    ◆私が感心した記事では、次のような記載がありました。イタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏へのインタビューで、同氏は「私は発明家でも預言者でも教祖でもありません。(中略)私の仕事は、どこで、どういう形で、新しい民主的なシステムが生まれようとしているのか。見えている事柄を分析し、研究することです」と発言しています。(2012.1.4朝刊)

    ◆様々な問題が発生すれば、その問題に詳しい有識者に意見を聞き、解決策を導き出そうとする行為は至る所で目にします。メディアはもとより、政府でさえも、様々な会議で有識者を集め、問題解決のカギを得ようとしています。しかし、導き出された答えは人それぞれで、議論ばかりが踊っているように見えます。いわゆる百家争鳴です。

    ◆そうした中で、上記の発言は非常に含蓄のあるものに感じました。我々は有識者に解決策を求め過ぎているのかもしれません。解決策を模索することは常に困難ですが、実はそもそも問題が何か不明確なことが多々あります。まず、問題の所在を明らかにする。これ程、重要なことはありません。その仕事の結果、問題が明らかになって初めて、適切な解決策が得られます。

    ◆先日、橋下大阪市長はツイッターで、市長を批判した学者に対し、批判の声を上げていました。どなたのツイートか存じませんが、橋下氏は「『批評家って最悪。批評家でありがちなのは、(1)自分が成果出していないのに他人を批判する、(2)批判するだけで具体的な提案を持っていない、(3)批判するくせに自分は大志を持っていない』というつぶやきをリツイート(引用)しました。

    ◆上記の「批評家って最悪」に賛同し、また、テレビ番組では市長を批判した学者に「副市長をやってみるか」と問いかけ、学者の答えが曖昧であることを理由に批判を展開しています。「批判するならやってみろ」という論理に見えます。この橋下市長の考え方は、気持ちとしては分かります。

    ◆しかし、「批判するならやってみろ」という考え方は、裏を返せば、「適切な解決策を提示できない者に批判する権利はない」ということになります。本当に、この考え方が妥当でしょうか。むしろ、答えはなくとも、問題があるならば声を上げるべきです。問題を見つける者が解決できないケースもあれば、答えを提示できる者が、全ての問題を発見できる訳でもありません。

    ◆昨年、TPP参加を巡って、議論が百出しました。まさに百家争鳴でした。しかし、もし、災害時の原発運用を巡って、はるか以前に百家争鳴していれば、福島の事故は防げたかもしれない。「下らないと酷評される批判」は「誰も問題に気付かなかった」ことに比べれば、はるかに有益です。そして、批判に耳を傾ける努力を怠らなければ、害を未然に防ぐことができます。

    ◆橋下市長は自らの当選を「民意」として、市の改革を進めようとしています。しかし、民主主義を政策の正統性確保に用いるならば、議論はフェアに行うべきです。批判する者の資格を問うのではなく、誰の、どのような批判であれ、その批判の内容・本質に反論すべきです。まず批判する者の地位を脅かすという手法は、「非国民」「敵対勢力」といったレッテル貼りに過ぎません。

    ◆かくいう筆者も昨年「経済学者の高みの見物」と題した記事を掲載しました。その内容を改めて記載しませんが、「経済学者」という職に問題を求めた行為は誤りだったと、年初の朝日新聞の記事を読んで感じました。答えを見つけ出すことが難しい問題に直面した時に、問題ではなく、問題を分析する人を批判しても問題は解決しません。そう、思い至りました。

    ◆ツイッターのつぶやき、ブログのコメントなどでは、本当に無意味な罵声や上記のようなレッテル貼りが横行します。相手の主張に正面から対応せず、ただ、相手を貶めようというコメントが見られます。筆者もそのようなコメントに閉口したことがありますし、自覚不十分なまま、そのような記事を過去に掲載したかもしれません。しかし、これらは全くもって不毛です。

    ◆どうすれば中身のある議論ができるのか。非常に難しい問題ですが、今ほど成熟した議論が求められる時代は、戦後、なかったのではないでしょうか。政権交代可能な政治を手にした日本では、与野党の質の高い議論が常に求められます。

    ◆民主党が、次期衆院選まで消費税増税を行わないとしながら、消費税増税を進めていることについて、公約違反という批判があります。厳密には、今の政府・与党案では2014年以降に増税としており、間違いなく次期衆院選が行われた後に増税が行われますので、必ずしも公約違反とはいえないのですが、批判する方の意見は、案を作ることさえも公約違反という見方です。

    ◆この見方はあまり有益ではありません。自民党は、子ども手当の廃止を始め、民主党のマニフェスト実行を阻止しようとしてきました。これは公約潰しです。公約に反対する党が公約違反を問題にすることは矛盾しています。公約に違反したかを問題にするのではなく、内容を問うべきです。消費税増税の何が問題か、子ども手当制度の何が問題か等を明確にすべきです。

    ◆谷垣総裁は2010年参院選の折、消費税増税を掲げて選挙を戦いました。その公約が功を奏したかは不明ですが、自民党は参院選に勝利しました。橋下市長の論理に立てば、消費税増税は「民意」を得たことになります。しかし、今の自民党はそのように解釈していない。将来増税すべきかに触れず、「現時点の増税」に反対しています。正確には民主党による増税に反対しています。

    ◆もちろん、民主党の政権担当能力を批判することは可能です。しかし、民主党を否定するために、民主党の全ての政策を否定する必要はありません。自民党にも民主党と同意見の政策があるかもしれない。例えば、消費税増税等の個別の政策では民主党と意見は同じだが、鳩山・菅政権に見られた指導力欠如等の問題は自民党では発生しない、といった主張もあり得るでしょう。

    ◆マニフェストと現実の政治の乖離は日に日に大きくなっています。その乖離を批判することは簡単ですが、その乖離のみに目を向け、政権与党を批判していれば、どの政党も、次の選挙では政権獲得後に批判されることのないような無難な政策しか公約に掲げないかもしれません。これでは政権交代可能でも、政策を選ぶ政治にはなりません。政党の人気投票になってしまいます。

    ◆仮に民主党が2014年に消費税増税と決めても、次期衆院選後(2013年までには実施)に、消費税増税を中止することは可能です。有権者は消費税を増税しないという政党に投票すればよいはずですが、増税に関する現野党の政権獲得後のスタンスは不明瞭です。これは、増税の本質が議論されていないからです。

    ◆消費税増税について、「やらないと言ったくせにやろうとしている」という批判は不毛です。この増税にどのような問題があるか、問題があるならば他の税を増税するのか、それとも行政支出をカットするのか、といった本質的な議論を行うべきでしょう。

    ◆相手を貶めず、本質について議論することが求められています。そして、今後、ますます求められていくでしょう。民主主義の根本である議論をいかに実りあるものにするか。その問題を考えるスタートとして、2012年はあるのかもしれません。


    ※このような記事を掲載しながら、昨年末には鳩山元首相の政治家としての資格・資質を問題視する記事を掲載しています。今年度以降は「問題」について書くようにありたいと考えます。


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    2012.01.05 Thu  - 政治 -   コメント 0件

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