◆間もなく終戦記念日が訪れます。靖国神社への政治家の参拝がニュースになるでしょう。小泉元首相の辞任後、首相の参拝は現在途絶えています。靖国神社への参拝問題は、長く「保守」を標榜する政治家の関心事でした。しかし、タイトルのとおり、これは「保守」の問題ではなく、むしろ「リベラル」の側がどう整理すべきか、という問題だと考えます。


    ◆戦前に生まれた方々がどのような常識をもち、どのような教育を受けたとしても、今日、靖国神社を考える上で、戦後に制定された日本国憲法の理念は無視できません。憲法は言論・思想・信教の自由を国民に保障しています。現行憲法自体を批判する方もいますが、上記の自由は、憲法制定の経緯がどうあれ、国民に当然に与えられるべき権利です。

    ◆靖国神社は宗教です。国民には参拝する権利も、参拝しない権利も同等に存在します。この権利は職業によって制限できないものと考えます。すなわち政治家にも参拝する権利があると考えることが妥当です。

    ◆しかし、現実には、総理大臣を筆頭に、閣僚や衆参両議院の議長など、国の重責を担う人々が参拝した場合、特に中国・韓国との関係は緊張します。昨年、自民党の谷垣総裁や安倍元首相らが8月15日に靖国神社を参拝しましたが、自民党が野党だから問題にならないだけで、与党であれば「谷垣首相」の参拝として大問題に発展したでしょう。

    ◆これは「保守」ではない「反動」だと批判することが、リベラルの進むべき道でしょうか。実は、彼らの参拝する権利を守ることの方が重要なのではないでしょうか。

    ◆現行憲法には、もう一つ重要な原則があります。政教分離です。しかし、この原則は政治が一つの宗教に傾斜し、その宗教を統治や司法に利用して国民を統制し、また、他の宗教を排斥することを防止するためのものです。政治家個人が信仰心を持つことまで否定していません。否定されれば、初詣もお盆もクリスマスにも政治家は関与できなくなります。

    ◆現実に発生する日中韓外交の亀裂を回避するために、安倍元首相は靖国神社の参拝を断念しました。それ以降、首相の参拝はありません。安倍氏などは、本来もっとも靖国神社への信仰が厚く、個人的には参拝を義務と認識されているでしょう。にもかかわらず首相在任中は信念を曲げ、ただの政治家に戻った今、ようやく参拝できる有様です。

    ◆逆に、小泉元首相は首相在任中こそ参拝していましたが、首相職を離れると靖国神社には参拝していません。小泉元首相への批判は余り聞かれませんが、筆者は靖国神社に首相が参拝する、という行動で、靖国神社を信仰する人々の支持を得ようとした政治的行動に見えます。しかし、世間はどうもそう見ていない側面がありそうです。

    ◆どちらが正しいのでしょうか。

    ◆個人の信仰の自由を中国や韓国に訴え、参拝したいと考える政治家の進行心を国は擁護すべきか。それとも、個人の信仰にかかわらず、キリスト教徒であれ、イスラム教徒の首相であれ、日本の首相となった人物は信仰心がなくとも靖国神社に参拝すべきか。

    ◆筆者は間違いなく前者が適切だと考えます。欧米の元首や首相は異教徒を虐殺した歴史を持つキリスト教の教会に自然に通っています。一個人として靖国神社に参拝することまで否定はできないでしょう。

    ◆逆に、靖国神社への首相の公式参拝には反対です。靖国神社に参拝される方の中には、日本国民の代表は靖国神社に参拝することが当然、という思想があるのではないでしょうか。しかし、これは政教分離の原則に抵触します。政治に一つの宗教への傾斜を求める考え方です。小泉元首相は、その考え方を利用したという点で批判されるべきです。

    ◆日本は過去の歴史について中国・韓国に謝罪し、大半の日本国民は、現在、侵略や植民地支配が新たに行われることを支持しないでしょう。靖国神社にA級戦犯が祭られるとはいえ、その靖国神社に政治家が参拝したからといって、軍国主義を支持していると断じることは性急です。

    ◆A級戦犯合祀の理由は、靖国神社もその理由を説明しています。それが正しいかは議論もあるでしょう。しかし。これは議論する問題ではなく、靖国神社の教義と考えるべきです。靖国神社は、A級戦犯も「英霊」として祭る宗教といえます。A級戦犯の問題は本稿では扱いませんし、これは皮肉ではありません。宗教は誰にも関与できないものだと、主張するために述べています。

    ◆A級戦犯の問題を否定的にとらえるために信仰心を保てないなら、信仰しなければよいだけです。キリスト教社会でも天地や人は神が創造したと聖書に書かれながら、実際はビッグバンや遺伝子の研究が進んでいます。その学者は聖書と異なる研究をしながら、信仰を捨てていません。逆に聖書に忠実に、研究を批判する人もいます。全てが自由なのです。

    ◆日本が自由主義国家である限り、靖国神社の問題は個々人の信仰心の問題として考えるべきです。靖国神社に参拝せず、お寺でお経を上げても、教会で祈りを捧げる日本国民がいても、なんら問題はありません。しかし、国民の信仰の自由を他国が批判し、否定するならは、政府は国民を守る義務があると考えるべきです。


    ◆一方で、「英霊」として先祖が祭られることを拒む韓国人の問題があります。

    ◆そもそも「英霊」とは何か、なかなかイメージしにくい存在です。戦後生まれの私は、小説や映画で、特攻に向かう日本兵が「靖国で会おう」と話し合うシーンをよく目にします。これは脚色ではなく現実だったのでしょう。では、靖国神社とは、そうして亡くなられた戦死者が集うお墓のような場所なのでしょうか。

    ◆しかし、靖国神社は一度「英霊」として合祀すれば、分祀は難しいと主張していました。「英霊」として合祀すると、もはや個々人の人格は消え、一個の霊となり、分祀できない存在となるのでしょうか?どうも、戦前の兵隊さんの会話と靖国神社の教義には若干乖離があるように感じます。これは靖国神社にしか説明できないことなので、筆者は言及できません。

    ◆しかし、靖国神社を離れて、日本の八百万の神について考えるならば、一つ言える事があります。日本列島に暮らしていた人々は神を尊敬の対象としていましたが、神は人間を守る義務はなく、天災で人を苦しめる自由を持つ存在です。それゆえにお祭りをし、祈り、拝み、時には願い事をする対象となっています。

    ◆筆者は、祖先を戦争でなくされた韓国人に、靖国神社に代わって説明する立場にはありませんが、仮い「英霊」を日本の八百万の神と同じような存在としてとらえるならば、「英霊」となられた朝鮮半島出身の戦死者は、別に日本や日本人を守る必要も義務もなく、むしろ災いをもたらす自由があります。それとも「英霊」は合祀後も永久に国防が義務付けられているのでしょうか。

    ◆私は靖国神社に参拝する多くの人が、英霊の安から眠りを願っていると考えます。朝鮮半島出身の戦死者が「英霊」として祭られる根拠は、日本のために亡くなられた方へ、感謝と尊敬の念をこめて祭っているのではないでしょうか。また、これは宗教に関係なく、朝鮮半島出身の戦死者には感謝と尊敬の念を持つべきだとも思います。

    ◆逆に、同じ日本人でも、幸いにして戦争では命を落とさず、「英霊」とならなかった方が多くいらっしゃいます。今や多くの方がご病気等で亡くなられていますが、その方々の魂はどこにおられるのでしょう。仮に死後の世界があるならば、「英霊」として祭られている人も、生き残って「英霊」とならなかった人も、同じ戦友として語り合っているのではないかと筆者は考えます。

    ◆筆者はそのような宗教的価値観を持つために、「戦死」で線を引く靖国神社に参拝するより、どのような理由で亡くなられようが、あるいは民族が異なっていようが、等しくお線香を上げる方が性に合います。戦死した韓国人の子孫の方々は、それも嫌がられるかもしれませんが、尊敬と感謝の念を込めていることはご理解いただきたいものです。


    ◆以上は、全て筆者の一個人としての考えや想像に過ぎません。

    ◆しかし、私の考えや想像も、靖国神社に参拝される方の信念や思想、熱意も全て平等です。憲法が、全く同じ価値を保障しています。政府はその憲法に忠実であるべきです。100年かかろうとも、200年かかろうとも、日中韓の三国は議論し、答えを模索すべきでしょう。問題は、それを丁寧に説明できる政治家や環境が不足していることでしょうか。




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    2011.08.12 Fri  - 保守・リベラル -   コメント 5件

    コメント

    No title
    言っていることはほぼ賛成。
    私は政教分離とは、政治家が宗教行動に参加しないことではなく、政治家が宗教理念によって政治を行わないことだと思っておりますから。。。
    (そういう意味じゃ、今自民党が推進している児童ポルノ法なんて、完璧に政教分離に反しておりますけどね)

    ただ、靖国神社は英霊……国家の義務を果たされた方が眠る場所です。
    その場所へ国家の代表が脚を向けられないということ自体、国として歪になっている/中国・韓国の批判を気にしすぎと考えておりますが。
    ちなみに彼らは靖国神社参拝問題がなければ別のいちゃもんをつけて日本に譲歩を求めてきますから、気にするだけ無駄だと思ってます。。。
    2011.08.13 Sat l umama01. URL l 編集
    Re: No title

    > ただ、靖国神社は英霊……国家の義務を果たされた方が眠る場所です。
    > その場所へ国家の代表が脚を向けられないということ自体、国として歪になっている/中国・韓国の批判を気にしすぎと考えておりますが。

    否定しません。

    私の意見としては、国家の代表は戦没者慰霊祭で十分義務を果たしている、と考えます。
    靖国神社は宗教施設ですから、首相ではなく、
    個人として脚を向けたいと考えるのは否定しませんが、
    首相として、という考え方は私は反対ですし、その必要はないかなと思っています。


    > ちなみに彼らは靖国神社参拝問題がなければ別のいちゃもんをつけて日本に譲歩を求めてきますから、気にするだけ無駄だと思ってます。。。

    まぁ、お互い決めつけ合っている限り何百年かかっても関係改善は無理です。

    感情で関係を良くすることは至難の業でしょうから、
    共通の利益で協力関係を結ぶことができればよいのでしょうけどね。

    中国が軍拡するので、日本も貴重な税金を国防費に回さないといけない、
    という事態は面倒くさいかぎりですから。








    2011.08.14 Sun l a.liberalist.77. URL l 編集
    No title
    良い言葉があります。

    日本の歴史は学術。
    中国の歴史は政治。
    韓国の歴史は願望。
    だから三者の見解は永久にかみ合わない。

    ……まさにコレです。
    何しろ、中国とは政治の絡まない第二次世界大戦以前の歴史には整合性が取れるのですから。
    だからこそ、日本は己の歴史観を他者によって曲げてはいけないと思います。
    歴史とは過去から学ぶ学術であるべきなのです。
    2011.08.14 Sun l umama01. URL l 編集
    Re: No title
    > 何しろ、中国とは政治の絡まない第二次世界大戦以前の歴史には整合性が取れるのですから。
    > だからこそ、日本は己の歴史観を他者によって曲げてはいけないと思います。
    > 歴史とは過去から学ぶ学術であるべきなのです。


    歴史的事実はよく研究すべきだと私も考えます。

    歴史観は、まさに「観」ですから、何が客観的かもはっきりとしません。
    何を適切と見、何を教訓とするのかでさえ、同じ日本人でも意見が分かれます。
    これは結局議論し続けるしかないと思います。

    その際に、中国と韓国の意見は信頼に値しないから初めから聞かない、
    というのは私はそこまで厳しいスタンスは不要かと思います。

    話にもならない話なら、話だけ聞いて「話にならない」と門前払いすればよいのですから。

    というところでしょうか。



    2011.08.15 Mon l a.liberalist.77. URL l 編集
    No title
    韓国の国定教科書。
    中国の第二次世界大戦当時の犠牲者数の推移。
    その二つをしっかり学んだ上での私の結論でもあります。。。
    つまりもう話し合い(と言うか歴史の突き合せ)は終わってるんですよ……

    ちなみに、上コメでいう歴史観とは「歴史とは学術である」というスタンスのことでした。
    つまり、日本は歴史に願望や政治を持ち込まない姿勢を続けろって意味だったのです。
    言葉足らずでしたが……歴史観というか歴史観念ですね。
    2011.08.16 Tue l umama01. URL l 編集

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