◆本日行われた枝野さんの大阪演説も盛況だったようです。演説を聞きながら、今の立憲民主党はどのようなポジションに向かっているのかを考え、以下の図を作成しました。

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    ◆政党の分類において、これまでは資本主義か、社会主義かという議論がなされてきました。いわゆる左右両翼です。資本主義とは市場で自由に競争することですから、海外でリベラルというと普通は「右」になります。逆に、自由な競争を抑制し、計画的に経済をコントロールするのが計画経済です。これに国家重視が加わるとナチスドイツに近づき、分配の平等を重視すると社会主義・共産主義になります。

    ◆これに対し、キッチェルトという政治学者は新たな対立軸として権威主義か、自由主義かという議論を提起しました。図の縦軸は、キッチェルトは厳密には自由至上主義(リバタリアニズム)としていたのですが、日本ではなじみが薄い(あまり見かけない)ので自由主義としました。また、自由主義が上なのですが、私の図は枝野さんの「上から」にあわせて権威主義を上にしています。

    ◆この配置で見たとき、かつての自民党は実は福祉国家重視路線で、何よりも安倍さんの祖父、岸首相自体が福祉国家の推進役です。小泉さんの構造改革はこれをより新自由主義的な路線に移行させようとするものでした。権威主義的な雰囲気はあまりしませんでしたが、唯一、イラクで誘拐されたボランティアの帰還に自己責任を訴えるあたり、自由の擁護より国家主権的だったかなと思います。

    ◆では、安倍自民党はどうなのか。

    ◆新自由主義的な改革路線は、そういうポーズこそ見せていますが、実はほとんど手を付けていません。加計学園問題では「岩盤規制の打破」と主張しましたが、普通に考えて獣医学部の規制緩和がどこまで日本経済に大きなインパクトをもたらすものか、疑問です。言い逃れの材料に「改革」を掲げただけでしょう。

    ◆むしろ、政府が労使交渉に手を突っ込み、賃金を上げさせようとする(志は理解しますが)、働き方改革について政府が旗を振る、中央銀行を統制して物価をコントロールしようとするといった統制的な経済政策は計画経済的ともいえます。アップルやAmazonが自由な働き方を推奨しているといったニュースを耳にします。しかし、これらをホワイトハウスが主導することはあり得ません。

    ◆そして、「上から」ののスタンス、これは説明不要かと思います。この点では、希望の党も当初の寛容な保守のイメージと都民ファーストの離党者が明らかにした小池さんの党首スタンスの差は決定的です。経済政策は新自由主義的と思われます。実は新自由主義者もベーシックインカムを主張しています。ただ、財源となるだろう消費税増勢は凍結なので、現時点ではまともな政策とは思えない。

    ◆以上を踏まえると、立憲民主党はどこを目指すべきなのか。与党や補完勢力と差別化するにはどうするか。

    ◆枝野さんの演説などから垣間見える現在のポジションは対立軸としてよい位置につけていると思います。多様性を重視した自由主義的な路線はまず安倍さんの「上から」と対照的です。草の根の経済政策は少しわかりにくいと思いますが、国民一人一人の活力を引き出すという形で具体化させることがよいように思います。

    ◆子育て支援は、まだまだ子育て負担が女性に偏っている中で、女性の自由を確保する意味で重要です。同時に、女性が自分の選択に応じて能力を発揮することで経済活動の活性化につながる。それだけでなくセーフティネットの拡充によって貧困を救済するだけでなく、既存の働き手の様々なチャレンジを支援し、雇用の流動性を拡大することのほうが労働生産性の上昇に寄与するかもしれない。

    ◆草の根の経済政策は一人一人のパフォーマンスを高める(結果として賃金増、消費増へつなげる)という点で考えていくのがよいのではないだろうか。これを「エダノミクス」などと呼ばず、「草の根経済政策」というのは今の立憲民主党の姿勢ともよく合致していていいように思われます。

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    2017.10.07 Sat  - 政治 -   コメント 0件

    ◆枝野立つ。

    ◆2年ぶりにブログを更新します。日々の生活に追われながら、半ばあきらめかけていた思いを枝野さんが思い出させてくれます。どれくらい書けるかわかりませんし、一庶民に過ぎませんが、「草の根」の声に励まされて再び執筆したいと思います。

    ◆といいながら、立憲主義と安保法制について考えたことをかことうと思うと、2年前の記事「安保法制、問題は何か。」に書いていました。そのころと私の考え方は大きくは変わっていないようです。

    ◆一つ思うことは、選挙後を見据えるなら、立憲主義を守るためにこそ、立憲主義を守るための装置、すなわち国会や内閣の立法権行使、行政権行使が憲法に抵触しないかをチェックする仕組み、すなわち司法による違憲審査権限を強化する憲法改正は目標としていいのではないでしょうか。

    ◆希望の党にはこれまでの経緯により心情的には思うところもありますが、向こうに行った多くの民進党議員、すなわち枝野さんの仲間だった議員にも、憲法改正は賛成だが、安保法制は現行憲法では意見の可能性があると思っている人が少なからずいるはずです。

    ◆彼らとの連携の可能性を絶たないためにも、憲法裁判所の設置(を可能とする憲法改正)を優先し、その違憲審査が出るまで安保法制議論はとりあえず「棚上げ」するのはどうでしょう。今は勢いがあるが、北朝鮮問題を含めて、小池氏が訴えた「リアル」な安保議論も必要になります。安保法制が違憲だ、としてその先は?考える必要があります。

    ◆憲法裁判所が安保法制を違憲とするなら、9条を改正し、3項といわず、何項でも追加して、文民統制の確保や集団的自衛権の限定行使であっても議会の承認を必要とすることを憲法に書き込むなど、9条改正案はそれこそもっと「多様」な議論をしてもいいはずです。立憲主義だからこその安全保障議論が必要になるように思います。

    ◆枝野立つ。その先は、枝野示す、でしょうか。批判から未来の提示へ、次のギアチェンジをさらに期待したいと思います。






    2017.10.05 Thu  - 政治 -   コメント 0件

    ◆随分久しぶりのアップデートとなります。世情騒がしい昨今、かなり予見できた事案とはいえ、煮詰まってきてもいる時期ですし、にもかかわらず、政権与党の不見識な放言にも困ったものです。

    ◆国民の多数が信任した政党ですし、総選挙時に集団的自衛権をなるべく争点にしない、悪意を込めて言うならば「姑息」な戦略を実行したとはいえ、総理の意向を承知しないで投票した人ばかりとも言えない中では、今回の安保法制はある程度民意のお墨付きを得たものといえます。世論調査の結果が芳しくないとはいえ、です。

    ◆民主主義のルールは、最後は多数決によります。もちろん多数派が誤る可能性がありますから、議論は必要です。議論さえ必要ないなら、そもそも議会が不要ですから。しかし、一定時期のこの国のかじ取りを自民党と安倍総理に任せた以上、どれだけ反対論が強かろうと、彼らが最終責任を負う形で意思決定を行うことは民主主義のルールにかなっています。

    ◆では、安保法制に問題はないのでしょうか?

    ◆安保法制が必要だという我が国をとりまく環境については解釈が割れます。仮に総理の言う通り、他国との緊張が高まっていることが正しいとして、その処方箋が集団的自衛権の限定行使かも、議論の割れるところです。

    ◆当ブログは、すでに2012年の衆院選時に、この問題に警鐘を鳴らし、自民党の政権復帰に反対をしました。従って、改めて反対論を申し上げるつもりはありません。反対であることは、当ブログにおいてはすでに確立した見解です。本稿が問題にしたい点は、むしろ別のところにあります。

    ◆左右どちらの現状認識や対策が正しいかはさておき、はたして今の国会審議の進め方は本当に問題がないのでしょうか。

    ◆当ブログは安保法制に反対ですが、憲法改正については特に否定しているものではありません。必要な改正はやればいいでしょうし、不必要な改正は時間のムダですからする必要がない。重要なことはこの国をどのような国にするかで、憲法はそれを実現する手段に他なりません。自称「保守」が述べるような「改正のための改正」は無意味です。

    ◆今回の安保法制審議が浮かび上がらせた事実は、憲法改正がやはり必要だということです。ただし、9条ではありません。問題は三権分立の仕組みが機能していないことです。

    ◆安保法制の議論を再整理しましょう。現在の懸案は安保法制が合憲であるか、違憲かに集中しています。憲法学者の反対は彼らの学説に基づくもので、中には合憲と判定する学者もいますが、いかんせん少数です。対する自民党は砂川判決をよりどころとして合憲と主張するか、憲法判断はおろか、法的安定性に興味を示さないか、二極化しています。

    ◆では、最終的に誰が合憲か、違憲か、判断するのでしょう?残念ながら最高裁は立法段階で違憲判断をしません。高村副総裁の砂川判決による合憲論は、仮に論文にまとめても、憲法学者の大多数の判定で博士はおろか、修士、学位号もとれないでしょう。政界は学界と決別しましたし、首相が指揮する内閣法制局も首相の意に背くことはありません。

    ◆つまり、現在の安保法制は最終的な合憲性のチェックを得ないままに議論しているといえます。いかに野党が違憲を叫ぼうと、国会周辺でデモが起ころうと、あるいは与党が合憲と主張しようとも、彼らの誰も最終的な判断をくだす権限がないのです。まさに、現行憲法が定めている統治機構の欠陥といえます。

    ◆やはり改憲は必要だと考えます。立法段階から合憲・違憲を判定できる「憲法裁判所」の設置が不可欠です。憲法が行政府や立法府の権能をしばるためのものならば、彼らに憲法解釈を自在に変更できる権限はあってはならないはずです。これが「立憲主義を守れ」というフレーズで議論されているのですが、その議論には実際は無意味です。

    ◆「立憲主義=憲法が為政者をしばる仕組み」のために、立法府・行政府をけん制する司法権があるわけです。機能させるべきは立法府・行政府のモラルや立憲主義に対するリスペクトではありません。先人が民主主義的な統治機構に導入しようとした三権分立の機能を復元することこそ重要です。

    ◆まず改憲をして憲法裁判所を設置し、次に我が国の外交環境について論じ、必要な安保法制を検討するという順序こそ妥当ではないでしょうか。そして、その法案が合憲ならばよし、もし違憲ならば、安保法制の前に必要な憲法改正を模索すべきです。仮に現行憲法では違憲でも、その法案が安保政策上必要ならば、改憲にためらいは不要なはずです。

    ◆磯崎補佐官が我が国の安保環境への憂慮をまず優先しましたが、これはあながち間違いではないとも言えます。問題は、だから法的安定性はどうでもよい、のではなく、その憂慮に対処するために法的安定性を維持したうえで法律整備を行うことです。その整備の途上、改憲が不可欠ならば、堂々と改憲を訴えるべきでしょう。

    ◆今、そこにある問題は安保法制が可決されることではありません。違憲立法かもしれない安保法制に確実な憲法判断をくだせない、日本の統治機構こそ問題なのです。その問題を放置したまま、権限がない与野党が勝手に議論し、その上、民主主義や法治への理解の浅い発言が飛び交うことは、我が国の貴重な時間とエネルギーの浪費に他ならないといえます。



    2015.08.06 Thu  - 政治

    ◆映画「小さいおうち」を見ました。とにかく素晴らしい。絶賛の一言に尽きます。以下、ネタばれ注意です。

    ◆「永遠の0」ファンの方には申し訳ありませんが、比較しようのない差があるように感じます。同じ戦争物、現代人が過去を振り返っていく作品構成などはほぼ同等と見てよいと思いますが、ストーリー、脚本、演出、役者全てが永遠の0を上回っているのではないでしょうか。

    ◆永遠の0ではCGのすごさに圧倒されましたが、一方で、小さいおうちでは最後に「おうち」が空襲で破壊されるシーンの映像技術はいかにもクラシカルです(本当に爆破したとはお世辞にも思えない)。しかし、もはやその演出がすでに皮肉なのか、映像をリアルにすることにどれほどの意味があるの?と逆に問われてしまったかのような印象を受けます。

    ◆先述の通り、過去のことを何も知らない現代人が過去に触れ、影響されるという構成も、永遠の0と同じですが、クオリティは雲泥の差でしょう。現代人を演じた妻夫木聡さんは永遠の0の三浦春馬さんに比べて役者としても一枚上手ですが、それ以上に、そもそも登場人物の設定の開きが余りにも大きい。さすが直木賞です。

    ◆永遠の0の三浦春馬さんは合コンの席で特攻について熱く語り席の空気をおかしくします。しかし、まずそんな若者は現代にいないのではないでしょうか(ミリタリーマニアの合コン以外は)。

    ◆一方の妻夫木さんは、物語の語り手である倍賞千恵子さんが「1930年の東京はそれは活気に満ちていました」と書いた自叙伝を読んで、「その頃は満州事変が起きて、軍国主義の嵐が吹き荒れていたんだよ、過去を美化しちゃだめだよ」と感想。教科書で習った通りの歴史観を持ちだして眉をしかめるのんきな青年がぴったり。そして、そういうセリフをいう若者は確かにいそう。

    ◆その後も、南京陥落でデパートの祝賀セールが楽しみだったという当時の庶民の感覚を、「複雑だな。虐殺があったんだよ」とコメントするなど、体験者と勉強しただけの若者の意識の差が、自虐史観・反自虐史観双方のイデオロギー性を浮き立たせ、実体験に優るもののなさを明確にしています。観客は戦前をリアルに追体験できるといえます。

    ◆永遠の0はやはり登場人物の価値観(家族のために死にたくない、特攻には行きたくない)がどうも現代的で「フィクションくささ」が抜けない気もしましたが、小さなおうちはその点でもリアルです。

    ◆「真珠湾攻撃の勝利が世の中の嫌な雰囲気を一掃してくれた」という主人公のセリフは「そうかも」と納得のいくものですが、永遠の0で「空母がいなかったから真珠湾攻撃は失敗だった」という主人公のセリフは、歴史の検証としては正確だと思いますけど、正確すぎてフィクションくささを消しきれていないといえそうです。

    ◆そして役者の演技の秀逸さは、ベルリンの賞のニュースを聞くまでもありません。

    ◆松たか子さんがとにかく素晴らしい。映画「ヴィヨンの妻」でも巧いと感じましたが、今回はさらに輝いています。近代の女性を演じたら松たか子さんの右に出る女優はおそらくいないのではないでしょうか。年齢が違うので比較は難しいのですが、吉永小百合さんか、松たか子さんか、というレベル。時代劇とも現代劇とも異なる役を演じるには、相当の技術が必要だと感じます。

    ◆ベルリンで賞をとった黒木華さんも確かに素晴らしいのですが、松さんとの二人のシーンが多いので相乗効果もあると思います。二人の息が合っていることが作品の質を高めたといえそうです。

    ◆橋爪功さんも、もともと世間から少し距離を置いて、ぶつぶつ文句言いながら暮らす役が得意な役者さんです。永遠の0にも出演していましたが、主人公について熱く語る生き証人の役より、今回の役の方が橋爪さんの持ち味を存分に活かしているといえます。

    ◆その橋爪さんの技術は、戦時中に銀座で浮気相手とデートした松さん演じる「奥様」の噂を聞いて、仕方ないから注意するために呼び出すも「そんな説教がそもそもバカバカしい」という空気を絶妙に醸し出すシーンに全てが凝縮されています。

    「嫌な世の中になったもんだ。みんな人を指差してモノをいう。そして、優しい声で勇ましいことをいう奴がのさばる」

    というそのシーンでのセリフは書いた作家や脚本家が一流なら、演じた役者も一流といえそうです。現在の世相とも重なります。

    ◆加えて、その説教(最終的に説教になっていないのですが)の後で「トンカツ食いに行こう」と松さんを誘い、その話を聞いた現代人の妻夫木さんが「戦時中だよ。トンカツなんか食べられないだろう」と不満をいうと、倍賞さんが「その当時でも店の玄関を閉めて、馴染みの客にこっそり肉を出す店があったんだよ」という裏話を披露する下りも秀逸です。

    ◆この作品に賞を与えたベルリンは、賞の対象が女優とはいえ、やはりよく見ていると感じます。全体のために個は犠牲にすべきだ、という当時の価値観に疑問をさしはさむ点にこそ、この作品の真価があるのではないでしょうか。

    ◆ラブストーリー・エンターテイメントの仮面をかぶりながらも芯がある作品です。戦争の悲惨さを問おうとしながら、永遠の0はエンターテイメントから脱しきれない、主張も曖昧にせざるを得なかったように感じました。しかし、小さなおうちは、自虐史観をうまく否定しつつ、しかし、だからといって戦前を肯定する訳でもない。バランス感覚が抜群です。

    ◆多額の費用をつぎ込んだ永遠の0と真っ向から勝負しないが、しかし、実は切れ味の鋭い刀の切っ先が永遠の0の咽喉元に迫っている。そんな凄味が映画全体から伝わってきます。大変失礼な評価かもしれませんが、差は歴然です。安倍首相のご感想を伺いたいところです。





    2014.02.20 Thu  - 歴史観
    ◆何から書き始めればよいのか、民主党の余りの惨敗に呆然としています。自民党の安倍総裁が語る自民党の勝因、報道が伝える民主党の敗因を聞いていると、民主党への逆風が結果として自民党を押し上げた、とあります。確かに民主党への失望は余りにも大きい。しかし、それだけではない、自民党と民主党の間には根本的な差がありました。

    ◆自民党の勝因はやはり「政権を担当することへの意欲」が民主党よりも圧倒的に勝っていたことと考えます。経済・外交など難題山積みの国政を打開しようという意思が、安倍総裁には明確でした。政策論争が不十分という声もあります。筆者もそのように感じていますが、それは政策を正面からぶつけて、がっぷり四つで組む、という姿勢が不足したために、不十分だったのです。

    ◆民主党は政権保持を目的とする与党の悪癖が濃厚に出ていました。改革政党だったにもかかわらず、「政治主導」「地方主権」といった強いメッセージは失われ、旧来の体制で目先を変える政策しか打ち出せない。改革志向という点では維新にも劣っていました。維新よりも多い議席を得られたことは、むしろ有権者の信頼がまだ残っていたためとも考えられます。

    ◆余り目立っていませんが、男女共同参画社会に関する世論調査で「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」との考えに賛成する人が51.6%に達したというニュースが報道されました。ほぼ同時期に職場でパワー・ハラスメントを受けた人の割合は4人1人という結果も報じられています。この二つの意識調査には関連性があると考えます。

    ◆そもそも経済の不調が前提にあり、さらに女性の就職難という大きな問題があります。そこへパワハラのような職場環境の悪条件があります。サービス残業も依然として減らない。夫も妻も本格的に働けば、仕事にかかる比重が高すぎて、家庭が圧迫される。子育て支援策も遅々として進まず、夫も妻も外で働ける状態にもありません。

    ◆2009年の衆院選で民主党が政権を勝ち取った際、有権者の期待は社会的弱者を支える政治にあったはずです。そのための政策の多くがとん挫し、逆に低所得者に負担増となる消費税だけを引き上げてしまった。社会保障制度改革の多くも道半ばです。

    ◆自民党は幼稚園・保育園の無償化など子育て支援策も打ち出しました。経済の浮揚、外交の安定は確かに喫緊の課題ですが、子育て支援策を求める声、女性への就職差別を是正すべきという声は、本来喫緊の課題であるにもかかわらず、何年、何十年と放置されています。自助・自立を旗印にしても、構造的な差別や社会の改変はやはり必要です。

    ◆公明党の政策には社会的弱者への対策が多く見られます。今回、既成の中小政党の多くが脱落する中で、その公明党だけが堅調でした。獲得議席数を見れば、2009年の衆院選で減少した分を取り返しただけともいえますが、多くの政党が名乗りを上げた中で、勢力を維持していることは単に創価学会の力だけでなく、社会的弱者に対する政治の役割を期待する向きもあると考えます。

    ◆自公政権には改革で切り捨てられかねない社会的弱者にも目を向けた政策を期待したい所です。同時に、民主党も大幅議席減の中で、若いエース級の政治家は議席を守りました。まだ役割が終わった訳ではなく、改革政党としての民主党の本来の姿、社会の安定や連帯を重視する政治姿勢を取り戻し、政治に緊張感をもたらす必要があると考えます。

    ◆2010年の参院選以来、ねじれ国会下で与野党の政争は激化し、しかも、与党内の内紛も常態化していました。政治の混乱には確かに終止符を打つ必要がありましたが、民主党の自浄作用は最後まで発揮されず、有権者が自ら終止符を打つという選択を下したのでしょう。そして、その選択を下さなければならない事態だったことは事実だと考えます。

    ◆安定的な権力を与えられた自民党の責任は重い。一方で、惨敗にもかかわらず第2党の地位を与えられた民主党の責任もやはり重い。政権交代が失敗するかもしれないリスクを冒して、国民は民主党に政権を委ねました。その経験は決してムダではなく、むしろ財産にしなければなりません。何が不足し、政治が停滞してしまったか。国民のためにも民主党は自己検証が必要です。

    ◆1993年の選挙制度改革以来、模索され続けてきた二大政党制は完全に曲がり角です。ポスト二大政党制の時代へ、政治は次の段階に入ったと考えるべきかもしれません。新しい日本の政治の姿が何か、再び模索が必要です。


    ※選挙戦が終わり、普通の生活に戻るため、筆者はしばらく執筆を休止します。お読み頂きました皆さま、誠にありがとうございました。しばらく、失礼いたします。



    2012.12.17 Mon  - 政治 -   コメント 0件

    ◆尖閣諸島の実効支配強化、国防軍構想、核開発に向けたシミュレーション等々、勇ましい言葉が飛び交っています。日本外交が良い状況だと考える人は少ないでしょう。なんらかの対策が必要だと考えることは自然です。一方で、それらの対策については常にメリットとデメリットの比較が必要です。仮にデメリットの方が大きいならば、外交の状況はさらに悪化します。

    ◆外交・安全保障政策に関して主要政党の公約・主張を比較すると、当然ですが領土明け渡しといった日本の主権放棄につながる記載はありません。では、どう対処するのか。各党の違いは、そのトーンの差と言えます。現行制度のまま防衛力整備を進める、海上保安庁の機能強化を図るといった対策から、先述のような既成の態勢を変革する動きまであります。

    ◆外交・安全保障に関する問題で、現在の最優先課題は日中関係であり、尖閣諸島に関する問題でしょう。日米同盟の立て直しを訴える声もあります。これは長期的には常に重要な課題ですが、短期的には近隣諸国との領土を巡る対立、外交環境の悪化を受けて、立て直しの重要性が高まっており、その短期的な環境悪化の最たるものは中国です。各党もそこに焦点を当てています。

    ◆筆者は尖閣諸島の国有化には反対でしたし、尖閣諸島に上陸する中国人等への対処についても、日本政府の旧来の姿勢である「事なかれ主義」でよいと考えてきました。弱腰といえばその通りですが、強腰で得られるメリットよりデメリットの方が大きいことは現在の状況を見れば一目瞭然です。

    ◆この点で民主党政権の外交政策のまずさは当然責められて然るべきです。しかし、失策による外交環境悪化を取り戻すことは必要ですが、その問題意識と、取り戻すための具体策が適合しているかを検討する必要があります。いたずらに「外交敗北」とナショナリズムに訴えかける政策が妥当かは、別の問題です。

    ◆結論からいえば、現状の打開は時間をかけて行うべきで、さらなるアクションはデメリットの方が大きいと考えます。具体的には尖閣諸島問題について、必要な機能強化は行うべきですが、島に灯台等の施設を建設したり、海上保安庁が対応している所へ、海上自衛隊を派遣するような積極策は、それによって得られるプラス効果よりもマイナス効果の方が大きいと考えられます。

    ◆今から10年前、小泉政権の靖国参拝が始まり、石原都知事の中国に対する差別発言も出始めました。しかし、当時、10年後に日本が近隣諸国と領土を巡ってこのように激しく対立すると予想した人は少なかったでしょう。今、尖閣諸島の実効支配強化や国防軍構想を掲げ、核開発を検討しても当面は何も起こらないかもしれない。しかし、10年後何が起こっているかは分かりません。

    ◆10年後に日中は武力衝突する事態を迎えているでしょうか?その可能性はまだ高くないかもしれません。では20年後はどうでしょう?それも分かりません。しかし、日中対立の種を撒くような外交を続ければ、種が見事に花開き、開戦を迎える可能性もない訳ではありません。その時に前線で血を流すのは、今、幼稚園や小学校に通っている子供たちです(貴方の子かもしれない)。

    ◆韓国は竹島問題の対処に際して、日本側が何らかのアクションを起こした時に反応するという姿勢を続けてきました。自ら仕掛けるということは慎んでいた訳ですが、先般李明博大統領が竹島を訪問し、日本側は激しく反発しています。その後は対応を控え、時間を使って沈静化を進めています。韓国国民も熱狂的に支持した訳ではなく、大統領の竹島訪問は成功とはいえません。

    ◆日本の尖閣諸島国有化も全く同じ構図です。国民が熱狂的に支持した訳でもなく、日中関係が悪化しただけで得るものはほとんどない。ここで今後の対応をよく考えるべきです。韓国は特に竹島の駐留兵を増やしたり、近海に海軍を配備するといった警備体制強化を行っていません。竹島に追加的に施設を建設している訳でもない。日韓関係もとりあえず小康状態です。

    ◆一方で、日本は韓国と異なる道を進み、尖閣諸島のさらなる実効支配強化に乗り出すべきでしょうか。とりあえず日中関係も今は小康状態です。もちろん公船の領海侵犯が続いていますから竹島と同じとはいえませんし、こんな状態を小康状態と言えるかは微妙です。しかし、では尖閣諸島に何らかの施設を建設すれば、領海侵犯等は収まるかといえばそれも疑問です。

    ◆外交には相手がいます。その相手をコントロールできる訳ではない。こちらが対策を講じれば、当然向こうも対策を講じる。対策の応酬による尖閣諸島の危機の深化が本当によいのか考える必要があります。今の状況は問題だが、さらに問題を増やすのかということです。尖閣諸島問題や安全保障政策全般における積極策より現状維持の方がデメリットは少ないとも考えられます。

    ◆また、領土を巡る対立があるからといって中国と韓国を同じように敵対視するかも検討が必要です。韓国は同じ自由主義陣営ですし、アメリカを介し、中国や北朝鮮といった国と対峙する関係にあります。日本に対する攻撃意欲も中国に比べれば格段に低い。主たる仮想敵国は北朝鮮であり、日本ではありません。一方で中国の仮想敵国はアメリカであり、同盟国の日本です。

    ◆アジアでは自由主義陣営の方が勢力を高めています。ベトナムのような共産主義国家でさえ、南沙諸島問題等で中国とは距離を置いています。一方で、カンボジアは日本が初めてPKO活動に取り組んだ国であり、国連カンボジア暫定統治機構の事務総長特別代表も日本人でしたが、今では中国の経済援助の比重が高まり、アジア諸国の中で中国と最も親しい国の一つとなっています。

    ◆日本はアジアにおける自由主義陣営の強調を高めることで、中国への国際的な包囲網を形成し、軍拡志向・覇権主義をけん制していく必要があります。それを考えれば、カンボジアが親中姿勢を取っていること自体、日本外交の失敗でもあります。そこへ同じ自由主義陣営でありながら日韓両国が対立を深めれば、長期的には中国を利するだけでメリットは少ない。

    ◆軍の名称復活は中国・韓国だけでなく、アジア諸国の反発も招く可能性もあります。核開発を志向すればアメリカやヨーロッパの批判も避けられません。特に日本維新の会の石原代表のように「自国の発言力を高めるため」という理由での核開発志向は、イランや北朝鮮と同じ考え方ですから共感や理解を得ることは絶対にないでしょう。非常に珍しいメリットゼロの政策です。

    ◆今回の衆院選は様々な要素があり、何を基準に選択するかが難しい状況です。その中で外交・安全保障に対する危機は、日本は長い期間平和が続いたために喫緊の課題ではないとして見過ごされがちです。しかし、筆者は各党の短期的政策こそ団子状態であり、長期的課題への対策には相当な開きがあると見ています。長い目で将来不安を考えることが非常に重要と考えます。



    2012.12.07 Fri  - 外交 -   コメント 0件

    ◆前回衆院選後、始まった民主党政権の最大の政治エポックは消費税増税といっても過言ではないでしょう。それも、参議院で野党勢力が過半数を得ている中で、自民党・公明党と連携して実施した訳ですから、政権交代を経ても政策が継続されるよう、与野党対立を超えて長期的な視点で立法化したと言えます。

    ◆ところが、その与野党対立を超えた問題意識の共有、政策の継続性が、選挙を期に、早くもブレています。自民党の安倍総裁は増税の凍結を口にしました。法律に経済状態によっては増税を凍結できる項目を加えているため仕方がないのですが、自民党の公約には一切記載されていないため本当に凍結するか不明です。選挙期間中の甘言なのかよく主張を聞かなければなりません。

    ◆公明党はホームページのトップ項目に一部の商品の税率を低く抑える軽減税率の導入を掲げています。消費税率を最終的に10%に引き上げる法案は公明党も賛成して可決したはずですが、この公約を実現するには、自ら賛成した法案を早くも修正するということのようです。理に適っていないようにも感じますが、低所得者への課税強化には反対する姿勢が見てとれます。

    ◆筆者は以前、物価の下落以上に賃金の下落幅が大きいことを指摘しました。物価の下落を「安くなった」と感じれば本来消費者の消費意欲は刺激されるはずです。ところがモノの売れ行きは一向に上向かない。筆者はその原因を大きく分けて以下の三点と見ています。

    1.「給料も下がっており、出費を抑えたい」という意識が強く、消費者の実感としては懐が許容できるほどにはモノは安くない、逆に言うと、依然としてモノは高いと感じている。

    2.家電や車等も昔のように次々と買い替える程、劇的に魅力が向上している訳ではない。手持ちの商品を長く使い続けることに消費者は支障を感じていない。

    3.現在の消費以上に将来に備えた貯蓄が必要とされている。子供の進学や老後の不安などから、とにかく貯蓄が必要という現実がある。

    ◆この状況で消費税率を引き上げた場合、1と2の問題に関してはマイナスの効果が考えられます。消費者の財布はますます固くなる可能性が高い。ただし、増税による税収増の分が社会保障制度の充実や安定に寄与し、また財政破綻を予防することで将来の国民負担の急激な上昇を抑えられるならば、その点ではプラスの効果が考えられます。

    ◆増税による財政の安定や社会保障制度の充実は社会の安定にも経済の成長にも、長期的にはプラスに働くと筆者は考えます。ただし、短期的には経済に悪影響を与えるから、増税の手法は十分な検討が必要です。その意味で、消費税だけでなく所得税など他の税も含めた総合的な税制改革と低所得者対策等が必要と主張しました。

    ◆結果としては消費税増税が先行し、本格的な社会保障制度改革は社会保障国民会議でようやく議論が始まったばかりです。総合的な税制改革としては、消費税増税に伴う低所得者対策や高所得者にもう一段の負担を求めるなどの改革が残されている訳ですが、これは衆院選後ということになります。この状態で選挙戦に入った訳ですから、民主党の政権運営は全くお粗末だと感じます。

    ◆その衆院選後の税制改革の展望を見ると、先述の通り自民党は消費税増税の凍結を検討し、公明党は軽減税率の導入による低所得者対策、民主党は所得税・相続税の改革と給付等による低所得者対策を記載しています。

    ◆消費税を増税しても景気が落ち込んで税収の総額が減るようでは増税の効果はゼロです。その意味で自民党の消費税増税凍結は理解できます。しかし、今の税制のままでよいと単純化もできません。財政状況を考えると、増税そのものはやはり必要であり、問題は経済への悪影響を最大限抑制することだと考えます。

    ◆筆者はそのために余裕のある高所得者への増税や低所得者対策の組み合わせが必要と考えています。同時に、貧富の格差をなんらかの形で是正すべきという観点からも必要と考えています。安倍総裁の発言は「凍結」であり、経済状態が向上すれば凍結は解除され、予定通り消費税は増税されるのですが、その際、高所得者への課税や低所得者対策は不要なのでしょうか?

    ◆従来低所得者への課税は緩すぎた、昔は格差が小さすぎた、努力した者はもっと報われるべきという視点ならば、低所得者への課税強化となる消費税増税も妥当でしょう。この点は議論が尽きない分野ですが、公約に高所得者への課税等が記載されていないということは、その背景に、上記の視点が含まれていると感じざるを得ません。富の再分配を弱める方向と考えられます。

    ◆では、公明党の主張に沿い、低所得者対策として軽減税率を導入すべきでしょうか?これは政治・行政改革を進める視点から賛同できません。得点品目のみ税率を引き下げるとすれば、税率引き下げを求める業界と政治の不適切な接触が増す危険性があります。小売業界や課税する税務署等の公共機関の手間を考えれば行政に、日本経済全体に非効率を与えていきます。

    ◆80年代のイギリスで始まった行政改革は、行政に経営学の視点を取り入れ、行政の効率化を目指そうとするものでした。その視点に立てば、軽減税率を導入して行政に余計な仕事を加えるべきではないと考えます。高所得者との公平性を考えるならば、高所得者にもメリットとなる軽減税率より所得税の累進課税強化の方が適切です。

    ◆前回衆院選の民主党マニフェストの柱は「控除から手当へ」でした。日本未来の党が子ども手当の充実などを掲げていますが、重要なことはこの柱が継続されているかです。子ども手当はあくまでも枝葉の問題に過ぎません。にもかかわらず、手当全体がバラマキであるように批判され、それを民主党の一部の代議士も認めてしまっており、極めて残念です。

    ◆「控除から手当へ」切り替えることは二つのメリットがあります。従来は控除制度と児童手当など手当制度が混在していた訳ですが、控除を極力削減し、手当にシフトしていけば、少なくとも税制はシンプルになります。一方で、手当制度を充実させても、細分化している制度を統合できれば行政への負荷は抑えられる。行政改革の視点から、この政策にはメリットが考えられます。

    ◆同時に、控除は税を納められる人のみを対象にした対策ですが、手当になれば低所得者をあまねく支援でき、貧富の格差の是正に役立てることもできます。これに高所得者への課税を加えることで、経済活動の成果の分配方法を正し、社会保障制度の充実によって将来不安を払しょくできれば、消費拡大の土壌を整えることができるかもしれません。

    ◆民主党の理念は本来そこにあったはずなのですが、残念ながらその体系立ては弱いようです(そういった説明もしていません)。政策の完成像・全体像が弱いまま民主党はただ消費税増税の維持を唱え、日本維新の会は増税を否定しないものの地方税化、自民党は経済状態によって凍結、公明党は軽減税率、その他の政党は増税反対と、争点は消費税に偏りつつあります。

    ◆問題は税制全体であり、税制の結果の富の再分配の仕組みにあるはずです。議論が浅く、弱いのではないかと考えます。

    ※個人的にはみんなの党の「社会保険料の取りっぱくれを正せば増税は不要」という声に関心を持ちますが、民主党の財源捻出の失敗にこりており、本当にそこに埋蔵金があるのか、もっと説明が欲しい所です。

    ※なぜ、民・自・公は消費税改革ができたのか、という視点で見るべきかもしれません。消費税だけなら合意が出来るが、「控除から手当へ」や高所得者・低所得者対策については、そもそも民主と自公では合意不能だったのかもしれません。その意味で、今回の選挙は民主と自公が合意できなかった分野を、有権者の選択に委ねる選挙とも言えそうです。



    2012.12.05 Wed  - 政策 -   コメント 0件

    ◆今回の衆院選では原発の是非が争点の一つです。脱原発を進める上での問題は新技術の開発と開発までの時間、どのような手段で電力を確保していくかです。開発の可能性に否定的な党や核兵器の開発を志向する党は脱原発に反対し、一方で明確な根拠を示さないながらも開発の可能性に肯定的な党は脱原発を掲げています。いずれも先が見えない中での選択が求められています。

    ◆脱原発か原発維持か、選挙を行う上で、争点がはっきりしていることは有権者に分かりやすいかもしれません。しかし、これは二者択一で選べる程に簡単な問題ではありません。

    ◆選挙戦の結果に関わらず原発の運転が当面厳しい局面にあることは明白です。例え原発推進派が選挙戦に勝利しても、原発立地地域周辺では常に原発事故の危険にさらされ、再稼働に容易に賛同ではできないでしょう。逆に、原発反対派が勝利しても、原発によって生活をしている人は再稼働を望み、経済界・消費者も電気代の無制限の上昇にどこまで耐えられるか疑問です。

    ◆この問題は選挙戦の後も決着はつかず、継続すると考えられます。議論そのものに意義がない訳ではありませんが、決着のつかない議論を繰り返し続けるだけが生産的ともいえません。筆者はこの際、原発の再稼働判断は先に委ねる方がよいと考えています。

    ◆原発に代わる新技術はなく、地球温暖化への配慮も必要な現状では、原発をどうするか簡単に決められません。従って、当面の問題は現在の原発運転休止状態のまま、エネルギー供給をどのように行うかです。もっとも生活に身近なテーマとしては、エネルギーコストをどの程度抑えるかということになります。

    ◆ところが、大半の原発の運転が中止している中では、電気の供給に莫大な資源コストがかかります。そして、即時に日本中の原発を再稼働させることは難しいため、このトレンドはしばらく続くでしょう。それを見越して、先日の東京電力の値上げに続き、関西電力や九州電力も値上げ申請を開始しました。

    ◆そこで、重大な問題が二つあります。一つは電力コストが本当に適正なのか、もう一つは電気代が本当に公平なのかということです。

    ◆以下のサイトは、国税庁が発表している平均給与のデータです。

    http://www.nta.go.jp/kohyo/press/press/2012/minkan/index.htm

    ◆平成23年のデータですから、現在電力会社ではリストラが進み、もう少し給与は下がっているかもしれません。しかし、平成23年時点で「電気・ガス・熱供給・水道業」の業種に務める人の平均給与は713万円です。全体の平均給与は409万円ですから、実に1.7倍の給与を得ていたことになります。

    ◆電力会社に批判が集中しがちですが、電気に限らず、いわゆるライフラインに関する業種の賃金は高すぎるのではないでしょうか。電気・ガス・水道は事実上独占企業であり、市場での競争がほとんどありません。関東に住んでいる人が、仮に大阪ガスの方がガス代が安いとしても、大阪ガスからガスを買うことはできない。水道も同じです。

    ◆政府は市場ルールの公正性の番人です。消費者の利益となるルールで、市場が運営されるよう配慮しなければなりません。ライフラインに関する業種は競争がない独占企業ですから、市場競争による価格の適正化というメカニズムが働きにくい。だからこそ政府による監督の適正化はより一層重要です。政府と関連業界の関係はこれまで余りにも甘すぎたのではないでしょうか。

    ◆電気代の公平性についても、すでに指摘されている通り、一般家庭向けの電気代と企業向け電気代のように、購入者によって二重の価格設定をしている点です。東京電力の発表では大企業向け販売電力量は全体の6割ですが、それによる営業利益は全体の1割とのことです。逆に、家庭・中小企業向け販売電力量は全体の4割ですが、営業利益は全体の9割に上ります。

    ◆どう考えても電気代が公平に設定されているとは考えられません。これも市場ルールの公正性を確保すべき政府の無能無策、というよりも癒着を疑わせる政策の結果とも考えられます。果たしてこれは電気代だけなのか。他のエネルギー料金も適切に監督されているのか、疑惑の目を持たざるを得ません。

    ◆原発推進派は脱原発に伴う資源コストやそれに伴う電気代の値上げ、消費者の不利益を強調しがちです。確かに、火力発電に必要な液化天然ガスの日本向けの代金は、国際標準に比べて4倍以上という指摘もあります。国際市場は、原発を動かせない日本は料金を何倍にしても買うという、火事場泥棒のような対応をしており、この点は政府も可能な限りの対応が必要です。

    ◆しかし、資源コスト高だから旧来の不公正・不公平な電気料金設定を含む体制でよいという訳ではありません。選挙の争点はエネルギーを巡る既得権へのメスであるべきです。脱原発が実現可能か、その見極めには時間がかかりますが、今現在、明確に存在する問題は解決が可能です。

    ◆旧体制を形成してきた自民党はこの問題に無関心です。公約のどこにも電気料金に関する記述がない。野党転落の反省が見られないと筆者は感じます。既得権の打倒を訴える日本維新の会でさえ、既得権の本丸であるこの問題に関心がなく、核開発という別次元の論理で原発維持へ舵を切りました(原発のフェードアウトは政策例で公約ではないとか。例ってなんですか?)。

    ◆「マニフェスト」という言葉は「嘘」の代名詞となり、多くの政党がその名称を使用していません。しかし、民主党の失敗がこれ程鮮明なのは政策を事細かに公開したからでもあります。公約が曖昧だった時代に、他党はどの程度公約を達成したのでしょう。結果が検証されていないだけで、実は公約は嘘ばかり、失敗ばかり、実現できなかったものばかりだったかもしれません。

    ◆国民に目指す政策を明らかにしないまま、既得権を保護し続けた結果として原発事故があり、本稿で指摘した不透明なエネルギーの料金体系があります。政策は問題を解決するためにあります。従って、マニフェストや公約は世の中の問題を示すことが最も重要です。公約にない所に、実は問題が隠されているかもしれない。失敗しても、問題を指摘することこそ本来は重要です。

    ◆民主党マニフェストへの不信を利用しながら、巧みに旧体制の復権を進めようとする政治情勢に対して、有権者は警戒すべきだと筆者は考えます。


    ※野田首相もきちんと事例を用いて「過去に戻る政治で良いのか」と問うべきではないでしょうか?民主党の選挙戦はどうも歯がゆい・・・。しっかりしてほしいものです。




    2012.12.04 Tue  - 政策 -   コメント 0件

    【民主・自民党首討論について-続編】

    ◆ニコニコ動画の討論をリアルタイムで見ることが出来なかった上に、ついつい自分も寝てしまい、終了後のテレビ報道も見ていません。新聞・ネットニュースを読む限りは、あまり盛り上がらなかったのでしょうか。朝日新聞では識者の見方として、安倍総裁は、最初は落ち着きがなかったが、会場で紹介されたネット上の反応で持ち直したとか?

    ※ネットの反応は安倍氏寄りで野田首相にはアウェイだったようです。もっとも朝日新聞は安倍氏にはアウェイかもしれません。当ブログもですが。

    ◆安倍氏は討論の場で「消費税はデフレがどんどん進行していく中では上げない」と発言したとロイターが報じています。しかし、公約の経済政策の欄にそのような記載はなく、社会保障の欄には「消費税(当面10%)を含む行財政抜本改革の一層の推進により、持続可能で安定した財政を確立し、財政の配分機能を回復します」とあります。矛盾しているのではないでしょうか?

    ◆そもそも消費税増税法案はねじれ国会下では野党の協力なしには成立せず、それは民自公の3党合意でできたものです。しかも、その合意の条件が解散だったはず。解散しない首相を安倍総裁は「嘘つき」呼ばわりしましたが、解散後に消費税増税を棚上げすることは「嘘」にはならないのか疑問です。

    ◆復興予算の流用は、法案に「日本の復興のため」といった文言が入ったために、関係のない事業まで「復興」の名目で予算が付きました。消費税増税も「経済情勢に応じた凍結」という条件が入って、この始末です。そういう意味では嘘ではないのかもしれませんが、増税法案審議時の、あの騒動はなんだったのかと感じます。中身を骨抜きにしかねない条件はどうかと考えます。

    ◆選挙時の発言は軌道修正もされますし、撤回もされます。普天間のように、選挙時の発言と正反対の政策が実行されることもあります(消費税もですが)。どの時点の発言が公約か不明という状態は無責任です。従って、重要政策は原則公約に文字にして記載し、後で審判を仰げるようにすべきです。消費税に関して安倍総裁が凍結を考えているなら、公約に書き込むべきです。


    【都知事選の争点】

    ◆仮にニューヨーク市やロンドン市の市長が、日本人のことを「イエローモンキー」と呼び、その市長が13年間、市民の支持を集め続けたとしましょう。日米・日英関係は良好に発展するでしょうか?中国・韓国で盛んな反日運動を見て、嫌中・嫌韓思想を持つにいたった人ならば、否定的な言説を受けた国民・民族がどのように反応するかすぐにお分かりと考えます。

    ◆都政の継承か、刷新かといった対立軸をメディアが報じています。現実的な政策の対立軸を検討することは重要ですが、そもそも首長としての資質のある人物なのかを検討することも必要です。メディアは石原都知事の差別的な発言に寛容すぎました。今さらの批判はメディアの自己否定につながるかもしれません。しかし、今回の選挙の争点は「首長の資質」に尽きると考えます。

    ◆その石原氏は日本維新の会のトップとして国政に進出します。中国の体制を批判することは構いませんが、中国人を差別するような発言を国政のリーダーとなって行うならば、イスラエルとパレスチナのような民族レベルでの対立を助長しかねません(すでにその芽をばら撒いた人物です)。資質という面での批判が不足していることに、日本のメディアの人権意識を疑います。

    ◆なお、当然ですが、選ぶ都民の資質が問われていることは言うまでもありません。国際社会が差別主義者をどう見るか、よく考えるべきです。


    【生活保護に関する「とある言葉」の流行語大賞対象外】

    ◆当たり前です。




    2012.12.03 Mon  - 社会 -   コメント 0件

    ◆12月2日の朝日新聞朝刊「〈政治断簡〉左右軸の対立 国と社会、どちらが先か」という記事は非常に興味深い内容でした。自民党や日本維新の会の石原代表が「国家」という言葉を強調するのに対し、穏健保守から中道リベラルまでをターゲットとしたい民主党はマニフェストで「社会」という言葉を多用しているという指摘です。

    ◆ただ、疑問に感じる場所もありました。記事の中では「(国家と社会の)どちらをとって、どちらかを捨てるというような話ではない」「社会は国家ができるよりも前に存在しただろうし、できあがった国家がイコール社会でもない。日本の中にはたくさんの社会が存在する」という指摘をしていますが、そもそも国家と社会、いずれの言葉の定義も弱いように感じます。

    ◆そもそも国家とは何でしょう?広辞苑では「一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権とをもつ政治社会」とあります。現在の国家は近代国家ですから、近代的な政府を含む社会ということでしょうか?この場合、記事の記述とは異なり「国家=社会」ということにもなります。

    ◆「愛国心」という言葉が昨今強調されていますが、この言葉の意味する所が非常に分かりにくいので、議論を呼びかねません。仮に「国家=政府」だとすれば、愛国心は「政府への忠誠」という印象を与えます。それは戦前の政府への反対を許さない社会の復活というイメージを醸成しかねない。問題は愛国心の結果の発言・行動が自由であるかどうかです。

    ◆私の知人に保育士がいるのですが、その同僚が先日福島の保育園に砂を届けたと聞きました。福島の保育園では(全域ではなく地域によってかもしれませんが)、子供が外にいる時間は制限され、砂場で遊ぶことはできず、葉っぱに触ることもドングリを拾うこともできないそうです。持って行ったドングリを子供たちが喜んで手にしたそうです。それが90年も続くとのことでした。

    ◆郷土をそこまで荒廃させた原発事故を前に、それでも原発を続けようという主張は果たして愛国的と言えるのか。そういう議論も可能です。一方で、原発を維持することの意義も考えられるでしょう。これも愛国故の主張です。同じ愛国主義者でも全く正反対の主張を掲げることがある。その場合に、一方の主張に「愛国」という錦の御旗を付与することは適切ではありません。

    ◆ドイツでは民主主義を破壊する政党は活動を禁止されています。民主主義の維持は言論や思想の自由に優先されています。もし、ここに愛国という概念を持ち込むならば、民主主義の破壊のみが非「愛国」的であり、その上での議論はどのような主張であれ「愛国」を前提にしたものとして寛容に対処しているのかもしれません。ドイツでは愛国心に対する信頼が厚いともいえます。

    ◆ケネディ大統領は「国が何をしてくれるかではなく、国に何をできるかを考えよう」という演説をしましたが、これもアメリカだからできる演説だろうと筆者は考えます。自ら独立を勝ち取り、自由な社会を建設し、それを守るために政府を作ったという建国のストーリーを持つアメリカ人だからこそ、胸に響くのでしょう。そして考えた結果、何をするかは自由です。

    ◆人がどの程度国を愛しているかを測ることはできませんが、国を破壊しようとしない限り(ドイツの例によれば民主的な国を破壊しない限り)、どのように国を愛するかは自由だと筆者は考えます。愛国者はこうあるべきという議論ではなく、これをしない限り誰でも愛国者であると、人を幅広く信頼することが必要です。

    ◆逆に、君が代を歌うように強制する、日の丸に敬礼する、そんな特定の行動を強制して、愛国の証を立てさせる国家・社会は不適切です。君が代の歌唱中に唾を吐く、起立しない、日の丸を焼く、といった対立を煽る行為は慎むべきと思いますが、一方で国を愛しているからこそ君が代・日の丸に反対する人もいますし、反対そのものは自由です。

    ※君が代は声に出して歌わなければならない、日の丸の前では敬礼しなければならないという細かな決めごとは不要だと考えます。

    ◆国民に愛国を求め、その心を疑う政治はもう卒業すべきです。「愛国」はもはや当然であり、その結果の言動に対する寛容さこそが問われています。中国の反日デモを見れば、「愛国」であっても違法行為は罰すべきということは一目瞭然です。逆に言えば、違法行為でなければ、人は自分の意思に従って発言し、行動する権利があります。問題はむしろ権利です。

    ◆安倍政権期に改正された教育基本法で謳われている「愛する」対象は「我が国と郷土」です。教育の目標には「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成が含まれています。国、郷土、国家、社会という言葉が使用されていますが、それぞれの言葉の意味は互いに重なりあっています。しかし、法の中に「権利」がない。

    ◆本当に重視すべきは、人間の権利に対する深い理解と尊重ではないかと考えます。「平和で民主的な国家及び社会」という言葉はまだ不十分かもしません。いじめはなぜ起こるのか。道徳の問題というより、いじめが人間の権利を侵害し、罰せられる行為だという認識の不足ではないかと考えます。そして事実、罰は軽く、罰するどころか大人が隠ぺいしようとさえしている。

    ◆国家と社会が対立しているのではなく、権利をどこまで擁護する国家や社会(依然言葉の定義は不明確ですが)にするのか。過激な議論の中には徴兵制に言及するものもあります。「権利に対する義務が弱い」といった日本維新の会の石原代表の指摘に見られるように、新しく義務を課していく社会に変えていくのか、が問われているのではないかと考えます。



    2012.12.03 Mon  - 保守・リベラル -   コメント 1件